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4525-4531:フローニンゲンからの便り 2019年6月9日(日)


タイトル一覧

4525. 肌寒い日曜日の早朝に

4526. 集中状態・没入状態に入るための儀式:光の知覚体験

4527. 今朝方の夢:逃げ足の早い夢たちが教えてくれたこと

4528. コード進行について

4529.「選択と集中」と「多角化」

4530. 仮眠中のビジョン:雷のような強さを持つ身体エネルギー

4531. ヘッジファンドやプライベートバンクを活用した資産運用に関する調査

4525. 肌寒い日曜日の早朝に

今朝は午前4時前に起床した。その時間帯にはもう小鳥が鳴き始めており、ここ最近の私に負けじと、彼らもより早起きになったのだろうか。

現在の時刻は午前5時を過ぎ、辺りが少しずつ明るくなってきている。日曜日の穏やかな朝の表情をここに見ることができる。

今、寝室と書斎の窓を開けているのだが、今日はかなり肌寒い。現在の気温は11度であり、いつもであればそこまで寒さを感じさせないような気温のはずなのだが、昨日に降った雨のせいか、外気が冷たく感じられる。

6月の第2週を迎えようとしているのだから、ここはなんとかこらえて、ヒーターをつけることは控えたい。後ほど、ベジブロスで作った暖かい味噌汁にカレースパイスを入れ、それを飲んで身体を温めればいい。

一昨日の夜は、インターネットを活用してあれこれと調べ物をしてしまい、パソコンの光が影響してか、寝つきがあまり良くなかった。もちろん、パソコンの光だけではなく、調べ物を通じて頭が冴えてしまっていたことも要因として挙げられるだろう。

昨日はそうした反省を踏まえて、就寝前にはできるだけパソコンの画面を眺めないようにし、少しばかり書物を読んでいた。今後は、楽譜や画集をぼんやりとでもいいので眺めるようなことをしていきたい。

昨日も楽譜か画集をぼんやりと眺める予定だったのだが、日中は読書をする時間がほとんど取れなかったこともあり、夜はコード進行に関する理論書を復習していた。今日は日中に読書をする時間が取れそうであるため、今夜の就寝前には楽譜か画集をゆったりとした気持ちで眺め、心身を落ち着かせた状態で睡眠に向かいたい。

昨夜の就寝前を振り返ってみると、就寝直前にもかかわらず、内側からほとばしる力強い活力を感じていた。それを曲として形にしてみたところ、興味深いことに、曲もまた力強さが滲み出るものとなった。

文体にその人の人柄やその人自身が映し出されたり、その人のその瞬間の諸々の状態が映し出されるのと同じように、作った曲というのも、作り手の全てを映し出すのかもしれない。それこそ、その人の状態や人柄のみならず、一人の人間としての成熟度合いなども自然と滲み出てくるものなのだろう。そうであれば、作曲上の技術的な側面だけではなく、なおさら人格的な陶冶や、心身の状態を整えることが大切になってくることがわかる。

人格的に未熟な人間が作った曲や、心身の状態が不健全な人間が作った曲は、真の意味で聞き手の治癒や変容を促すことは難しいのではないかと思う。そのようなことを考えながら、人格的な成熟を今後もゆっくりと進めていき、健全な心身の状態を維持・促進していくためにできる限りのことをしていきたいと思う。フローニンゲン:2019/6/9(日)05:25

No.2045: The Fruit of Time

The fruit of time is very precious and merciful. Groningen, 12:47, Sunday, 6/9/2019

4526. 集中状態・没入状態に入るための儀式:光の知覚体験

昨日から本格的に、日記の執筆前や作曲実践の前など、一つ一つの活動の前に、その活動に集中・没頭するための工夫をし始めた。それは非常に単純なものであり、一度眼を閉じて、自分の内側を意識でスキャニングし、「集中」という心的念仏を唱え、合唱をしてからその活動を始めるというものだ。

そうした小さな一工夫をしてみると、一つ一つの活動にかなり集中して取り組むことができていることを実感する。この実践は今日も一日中行ってみて、完全なる習慣にしていきたいと思う。

私たちは何かを行う際に、集中しているようでいて集中できていないことの方が多いのではないかと思う。私たちの周りには様々な外的刺激が存在しており、それらの刺激に集中力が奪われてしまうというのが実情ではないだろうか。

そうしたこともあり、いかに集中状態・没入状態に入っていくかの自分なりの儀式を持つことは大切になってくるだろう。今自分が行っている儀式に関しては、まだまだ工夫や改善の余地があるため、今後も継続して見直しを図っていく。

儀式が複雑であっては継続しにくいため、理想は非常にシンプルなものでありながら、それを行った直後からいきなり高い集中・没入状態に入れるのが理想である。脳の状態も意識の状態も一瞬にして切り替わってしまうような儀式を自分なりに確立してみようと思う。

そういえば、今朝の深夜未明に、不思議な現象を体験したことを思い出した。それは実際のところ、不思議でもなんでもないのだが、端的には、寝ている最中に、突然脳内に黄色がかったオレンジ色の強烈な光を知覚するというものである。

記憶にある限り、最初にこうした現象を体験したのは中学生一年生の時である。それ以降、夜寝ている時に全身のエネルギーが活性化し、それが黄色ないしはオレンジ色を伴った電気のような形で身体中を流れるという現象に遭遇することがよくある。

今朝の深夜未明の現象もまた、そうした現象の一つであり、昨日は何かしらの脳内物質が異常に分泌され、局所的に脳内にエネルギーの大きなうねりが見られたのだろう。こうしたエネルギー次元の現象が自分の身体や脳にいかような影響を与えているのかは定かではなない。

だが、インテグラル理論の観点を用いれば、内と外の現象は必ず相互作用しているのであるから、昨日の体験は私の脳を再編成したり、機能的に何か異なるものにしていくような力があったのではないかと思う。実際に、脳内物質の何かが異常に分泌されていたのを実感していたため、間違いなく物理次元の脳に影響を与えるようなエネルギー現象であったと思われる。

興味深いのは、昨日のそれは黄色がかったオレンジ色をしていたが、白銀色のエネルギー的な光を知覚することも就寝中にしばしば起こる。もちろん色というのはグラデーションがあり、人間が識別できる色よりもさらに多種多様な色があると思われるが、就寝中の自分が知覚する光は大きく分けるとそれらの二種類のどちらかになるようだ。

どのような要因によってそれらの色が決まっているのか、またそれらの色が自分に及ぼす影響の違いなども、今後は観察対象・考察対象にしてみたい。フローニンゲン:2019/6/9(日)05:42

No.2046: The Other Side of Silence

Today is also very peaceful. I’m looking at the other side of the silence. Groningen, 09:40, Monday, 6/10/2019

4527. 今朝方の夢:逃げ足の早い夢たちが教えてくれたこと

時刻は午前5時半を過ぎたところである。日曜日の朝が静かに進行している。

今日はそよ風が吹いていて、街路樹を優しく撫でている。赤レンガの家々の屋根には朝日が反射しており、その光はこの世界に重要な彩りをもたらしている。

先ほどの日記で書き留めた通り、今日は随分と冷える。ヒーターをつけたい気持ちをなんとか抑えながら、書斎の窓を先ほど閉めた。6月も第2週を迎えようとしているのに、このような寒さであることに改めて驚く。

今日はまだ今朝方の夢について振り返っていなかったので、それを振り返っておきたい。とはいえ、振り返ることのできる場面が少ないのが今朝の夢の特徴である。

だが、夢というのは不思議な性質を持っており、それを思い出そうとし、それと向き合おうとして文章を書き始めてみると、記憶が記憶を呼び覚まし、夢がどんどんと紐解かれていくというようなことが起こることがある。そのため、今この瞬間に覚えていることを頼りに、記憶の網目を辿り、連想的に様々なことを思い出すことができればと思う。

もちろん、それが実現される保証はないが、とりあえず夢について書き出してみる。夢の中で私は、小中高時代の友人(HY)とレストランの席に腰掛けて話をしていた。

そこでは何も飲み食いをせず、まずはお互いの近況を話し合っていた。しばらくすると、友人が何かを注文しようと述べた。

夢の中の私の意識や行動特性は、顕在意識下のそれらと同じであり、何を食べるのか・何を飲むのかについては大変気を遣っているようだった。私はメニューを眺めながら、このレストランで自分が口にできそうなものはほとんどないと思っていた。

そのため、水だけで十分かと思っていたところ、注文していないにもかかわらず、大きめのグレープフルーツ1個とケーキが運ばれてきた。厳密には、それらは運ばれてきたというよりも、気がついたら私の目の前のテーブルの上に置かれていたというのが正確だ。

友人が、「そのケーキ美味しそうだね〜」と述べたのと、私は何が入っているのかわからないケーキを食べる気がしなかったので、ケーキを友人にあげることにした。友人はすぐにフォークでひとくち食べ、「美味しい!」と述べた。

私はグレープフルーツの皮をむき、果肉をかじった。そこで夢の場面が変わった。

今この瞬間に覚えているのはそれぐらいのことだろうか。その他にも幾つか印象に残るような夢を見ていたのだが、残念ながらそれらは忘却の彼方にある。

記憶という大海の水面から一瞬にして消えてしまう今日のような夢というのは、おそらく心象イメージが優位なものであり、感覚的・感情的な側面が弱い傾向にあるのではないかと思う。ここから気づくのは、やはり私たちが何か学習をして、それを真に身体知として獲得するためには、単に思考を用いて心象イメージだけを操作するような鍛錬をしていてはダメであり、身体感覚や感情が伴った鍛錬をしていくのが重要なのではないかということである。

逃げ足の速い夢たちが教えてくれたのは、まさにその点である。今日もいつもと同様に、様々な学習や鍛錬を行っていくが、その時には、身体感覚や感情が伴う豊かな実践をしていくように心がけたいと思う。フローニンゲン:2019/6/9(日)05:59

4528. コード進行について

時刻は午前6時を迎えた。5時台以上に、世界がより明るく、輝きを増している。特に、赤レンガの家々や街路樹に反射する朝日の輝きが増しており、それは大変美しい。

小鳥たちのチュンチュンとした鳴き声に耳を傾けながら、今日一日の活動について少しばかり考える。今日はこれから、早朝の作曲実践を行いたい。

昨夜に引き続き、リスボンのチャド博物館で購入した楽譜を参考にして一曲作る。その際に、昨日コード進行の専門書を読んでいた時に気付いたことに意識を当てていきたいと思う。

私は大抵、Iのコードで曲を終えていたが、それは時に、Iで曲を終わらせようとする強い意識のために、時々強引な形になって曲が終わっていることがあった。そもそも、トニックの代理として、IIIやVIのコードがあり、Iをそれらに置き換えて使うことが可能なのである。

だが注意をしなければならないのは、IIIのコードは、Iのコードの中核の音であるCの音を含まないので、楽曲が終始する箇所には原則使えないということだ。そうなってくると、VIのコードで終わるという一つの選択肢が追加されただけになるが、それでも曲の終わり方に関しては随分と幅をもたせることができると思う。さらには、転回形を活用すれば、様々な形で曲を終わらせることができるだろう。

IIIの代理機能についてもう少し考えてみると、それはIの代理のみならず、共通音の特徴により、Vの代理にもなれることにも気づく。だがIIIのコードは、トライトーンを含んでいないので、Iに接続する形でドミナント終止はできない。トライトーンを持っているコードがIに接続する際には、トライトーンの解決による強進行が生まれるのだが、IIIのコードにはそれが起きないのだ。

これらの点を意識しながら、今朝の作曲実践に従事してみようと思う。おそらく二曲続けて曲を作った後に、休憩としてコード進行に関する理論書の復習を行っていきたいと思う。

今日はその他にも行うこととして、協働プロジェクト関係の分析作業がある。それらに関しては、先週から少しずつ進めており、今日は残りの分析を行っていく。

分析作業全体は、来週の早い段階で完了すると思われる。できれば、火曜日か水曜日をめどに全ての分析を完成し、分析結果を再度確認した後に、その結果を協働者の方に連絡しておきたいと思う。

今日の取り組みとしては、日記の執筆、作曲実践、読書、そして協働プロジェクト関係の仕事というように、いつもとそれほど変わらないのだが、自分が日々変化しているのであれば、それらの仕事は絶えず新しいと言えるだろう。そうした新鮮さを常に感じながら日々を過ごしていく。フローニンゲン:2019/6/9(日)06:30

4529.「選択と集中」と「多角化」

早朝の扉が開かれ、新たな世界が今この瞬間の目の前に広がっている。今朝は少々肌寒いが、とても心地良い日曜日の朝だ。

今日も夕方まで自らの取り組みに従事し、そこから適度な運動として、近所の河川敷にジョギングに出かけていきたい。午後4時あたりになればもう少し温かくなり、なんとか20度近くまで気温が上がってくれるだろう。そうなれば、心地良く走ることができそうだ。

今日はこれから、協働プロジェクトに関する分析作業に従事する。一時間か一時間半ほど集中してそれに取り組み、手元にあるデータの全てをできるだけ午前中に分析してしまおうと思っている。分析が終われば、再び作曲実践を行う。

もはや作曲実践をすることが息抜きのようになっていると言えるだろうし、あるいは飲み物を摂取することやトイレに行くことのような行為になっているようにも思う。それは今このようにして執筆している日記に関しても同じであり、作曲という行為が、いよいよ日記の執筆と同じようなものになりつつあることを大変嬉しく思う。

協働プロジェクト関連の仕事の後に行う作曲実践においては、バッハの4声のコラールに範を求めていく。その際には、ここ最近集中的に学習しているコード進行に意識を当てていく。

改めて当たり前のことに気づいたが、作曲上の観点というのは無数にあり、それらから数多くの観点を私のような初心者が無理に適用しようとすると、それは決してうまくいかないだろうということだ。賢明なのは、最初のうちはとにかく少数の観点に絞り——できれば一つ、多くても二つの観点に絞り——、それらを意識的に適用していくという鍛錬を継続させ、その観点を血肉化させていくことだろう。

その観点を苦労なく自動的に活用できるようになるためには、それを身体知の次元にまで昇華させておく必要があり、そのためには意識的な鍛錬をどれだけ積んでいくかが重要になる。その際に、初心者であればあるほど、複数の事柄に焦点を当ててはならない。

確かに経営において「多角化」も重要ではあるが、兎にも角にもまずは古典的な「選択と集中」という概念を適用し、ある事柄に絞り、それに集中をしていく。作曲上における今の私で言えば、コード進行というのがそれに該当するだろう。

幸いにもそうした選択と集中を行ってきたおかげもあり、現在は教会旋法が徐々に自動的に活用できるようになってきた。そして、そうした選択と集中があって初めて、次のトピックであるコード進行に移れたことを考えると、「選択と集中」と「多角化」は対のような関係にあると言えるかもしれない。

いずれにせよ、もうしばらくはコード進行に焦点を当て、今日もそのテーマに関する書籍を復習していく。以前に言及したように、一つの調を選択したら、最低でも二日間は同じ調を活用するということを今日も行っていく。

しばらくは二日間ほどそのような形で作曲をしていき、それぞれの調についてより理解を深めたいと思ったら、もう一日追加して、三日間連続で同じ調の長調・短調の曲を作っていきたいと思う。フローニンゲン:2019/6/9(日)10:02

No.2047: Little Birds before Noon

I can see little birds before noon. Seeing them, I can feel calm and feel that mysterious power wells up from the depth of myself. Groningen, 11:30, Monday, 6/10/2019

4530. 仮眠中のビジョン:雷のような強さを持つ身体エネルギー

時刻は午後3時を迎えようとしている。今朝は午前4時前に起床し、そこから今の時間まで本当にあっという間である。

これまでは4時よりも数時間ほど後に起床していたのだが、そのような時間に起きていた当時は、日中の活動時間が十分になかったのではないかと改めて反省する。そして何よりも、一日に三食食べるという暴挙を行っていたのであるから、なおさら一日の活動時間がなかった。

今となっては、当時に比べて格段に日中の活動時間が増えているが、それでも起床から夕方に向かおうとするこの時間までがあっという間に感じられる。仮に日中の活動に十分に集中しており、その結果として時の流れが一瞬のように感じられるのであれば、それは肯定的に受け止めよう。

つい先ほどまで仮眠を取っていた。先ほどの仮眠では、二つほどビジョンを見ていた。

一つは、私は病院のような場所のベッド上に寝ており、顔の見えない医者が上から何か液体を私の体に垂らしてきた。私の両腕と両足は動かないようになっていた。

それは何か物質に縛られているというような形ではなく、目には見えないエネルギーか何かによって両腕と両足が動かないようになっていた。私は、医者が無言で上から垂らしてくる液体が不気味に思え、何としてもその液体を体に付着させたくはなかったのだが、それは防ぎようがなかった。

私は諦めて目をつぶり、液体を身体中に浴びた。すると、自分の身体の内側から、これまで自分が感じたことのないような強さのエネルギーが湧き上がってきていることに気づいたのである。それは電気のような、いや雷のような力強さのエネルギーであった。

そのように感じた時、私の両目がカッと見開き、再び意識が部屋に向かった。相変わらず自分の両腕と両足は動かないままで、少し目線を上の方に向けると、先ほどまでは人間の医者がそこにいたはずだったのだが、なんとそこに地球上の生き物とは思えない姿の宇宙人がいたのである。

その宇宙人が再び何か液体を取り出して、それを私の身体に垂らし始めた。そこでも私はまた諦めて目をつぶり、その液体を浴びることになった。そこでビジョンが変わった。

次のビジョンでは、私は小中学校時代の親友(KF)と話をしていた。話の話題は数学とファイナンスであった。

親友は昔から、学校の勉強が非常に不得意であったが、数学とファイナンスに関心を持ったらしく、それらについて教えてくれと私に頼んできた。確かに私は大学の基礎レベルの数学とファイナンスを学んできたが、それはアカデミックな基準から見ればあくまでも基礎であり、専門性の深さは非常に浅いものであった。

そうしたことから、彼に何かを教えることなどあまりできないだろうと思っていたが、彼が熱心に私にお願いしてきたので、私はそれらのことについて自分が知っている範囲のことを教えることにした。ところが、彼は本当に数学とファイナンスの基本用語を一切知らないようであり、何から教えたらいいのかと途方に暮れてしまう自分がいた。そこでビジョンから覚めた。

実際のところは、最初のビジョンの前と最後のビジョンの前のそれぞれに、もう一つ異なるビジョンを見ていた。25分ほどの仮眠の時間の中に、そうしたビジョンが立て続け現れていたことは興味深く、上記二つのビジョンのうちの、特に最初のものは興味深い。身体にかけられたあの液体は何だったのだろうか?

ビジョンの中の自分が雷のボルトのような力強いエネルギーをここ最近は日常生活の中でも感じることがある。ビジョンが立ち現れる世界の身体エネルギーと、この物理世界における身体が共鳴し始めているのを感じる。フローニンゲン:2019/6/9(日)15:09

4531. ヘッジファンドやプライベートバンクを活用した資産運用に関する調査

ここ最近は一日に4曲以上作る日が続いていた。今日はすでに3曲ほど作曲しており、4曲目を作ってからジョギングに出かけようかと思ったが、そうではなく、今から一時間程度、先日ドイツの書店から届いた“Political Ponerology: A Science on the Nature of Evil Adjusted for Political Purposes (2009)”を読み始めようと思う。

これは以前の日記で書き留めたように、人間発達を純朴な性善説的発想で捉えていくのではなく、性悪性悪説的な立場からも人間発達を捉えていく観点を養うために購入した書籍である。内容としては、経済的・政治的に巨大な力を持った人間たちの悪の側面を探究したものであり、副題にあるように、悪の性質を科学的に掘り下げていったものである。

特に私は、サイコパスやソシオパスについてここで改めて感心を持っており、上記の書籍以外にも、ドイツの書店に“The Sociopath Next Door (2006)”と“Almost a Psychopath: Do I (or Does Someone I Know) Have a Problem with Manipulation and Lack of Empathy? (2012)”を注文しており、それらはまだ届いていない。

それら2冊が届く前に、上記の書籍を読んでおこうと思う。まずは目次を使って全体像を把握し、関心のある箇所を中心に読み進めていく。人間発達と悪、そして社会病理というのは、私にとっても重要なテーマであり、今後も探究を続けていくものだ。

そして、最近の関心事項として食以外にも、金融、とりわけ投資に対して再び関心の矢が向かっている。大学生時代に学術的な側面から理論的に金融を学ぶだけではなく、金融投資についても一般書を含めていろいろと学習を進めていた。

金融投資には様々な手法があるが、ここ数年においてはヘッジファンドを活用した資産運用と、プライベートバンクやプライベートバンキングサービスを活用した資産運用に関心を持っている。それらへの関心は、単に金融資産を増やしたり保全したりするということにとどまらず、それらの背後にある闇やそれらが生み出す社会問題にも向かっている。

さらには、そうしたサービスが人間社会に誕生した歴史にも関心を持っている。そうした関心を明らかにした上で調べてみると、4冊ほど興味深い書籍を見つけた。

1冊目は、“Private Banking in Europe: Rise, Retreat, and Resurgence (2015)”というタイトルの書籍であり、タイトル通り、特にヨーロッパの地に着目をし、ヨーロッパでプライベートバンク及びプライベートバンキングサービスがどのように起こり、衰退し、そしてそこからいかに再起したのかを解説している。

2冊目は、プライベートバンクの選択方法について解説した“How to Choose a Private Bank (2014)”という書籍であり、ヘッジファンドの種類と彼らの投資方法、そして彼らへの投資方法について調べるために、 “How to Invest in Hedge Funds: An Investment Professional’s Guide (2006)”を3冊目に購入することにした。

そして、個人がヘッジファンドやプラベートバンクを通じて資産運用することも一種として含まれる「ウェルスマネジメント」の闇を解説している“Capital Without Borders: Wealth Managers and the One Percent (2016)”を4冊目に購入することにした。

ファイナンス系の専門書を購入したのは、実に大学学部生の頃以来である。確かに上記の書籍のうち2冊は、オックスフォード大学出版やハーバード大学出版などから出版されており、専門的といえば専門的だが、中身を確認してみると、それは理論的というよりも、私にとってはかなり実践的な話題(自らの資産運用やそれを行うことの背後にある社会問題)を扱っているように思え、関心を持って読み進めることができるだろう。

そもそも資産運用という実践自体がマネーゲームの一種であるという性質から逃れることはできないが、この虚構的ゲームが現代社会ではもはや虚構と単純に切り捨てることができないほどに巨大な影響を持っていることは確かだろう。そして、そうしたマネーゲームのルールや仕組みを知らない者は、際限がないほどまでに搾取され、ルールや仕組みに精通している者たちの餌食になってしまうという面がある。

そうしたことからも、それらのルールや仕組みについて知り、護身術を身につける意味も含めて、実際にそうした資産運用の世界に足を踏み入れているというのが今の自分の一つの姿だと言える。フローニンゲン:2019/6/9(日)15:39

6月9日(日)に生まれた曲たち

Op.1236 日曜日の心地良い朝

Op.1237 早朝世界の扉

Op.1238 時の果実

過去の曲の音源の保存先はこちらより(Youtube)

過去の曲の楽譜と音源の保存先はこちらより(MuseScore)

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