タイトル一覧
4240.【バルセロナ・リスボン旅行記】出発の朝に
4241.【バルセロナ・リスボン旅行記】出発前の雑記
4242.【バルセロナ・リスボン旅行記】深層的な自己との出会いをもたらす旅
4243.【バルセロナ・リスボン旅行記】旅行出発の朝に見た夢
4244.【バルセロナ・リスボン旅行記】「神の一音」を求めて
4245.【バルセロナ・リスボン旅行記】絶えず今ここにある生きることの喜び
4246.【バルセロナ・リスボン旅行記】スキポール空港に向かう列車の中で振り返る今朝方の夢の続き
4247.【バルセロナ・リスボン旅行記】晴れ渡るアムステルダムの上空から
4248.【バルセロナ・リスボン旅行記】刹那的な出会いへの感謝の表明
4249.【バルセロナ・リスボン旅行記】バルセロナでの音楽的出会い
4250.【バルセロナ・リスボン旅行記】バルセロナの街がもたらす陽気さと歓喜
4240.【バルセロナ・リスボン旅行記】出発の朝に
今朝は早朝の四時に起床し、バルセロナ・リスボン旅行へ向けた出発の朝を迎えた。いつもの旅のように、昨夜は次の日から旅に出かけていく実感がそれほどなかったのであるが、一夜明けて実際に出発をする日になってみると、これから旅に出かけていくというなんとも言えない高揚感が静かに滲み出している。
それは今この瞬間の世界と同様の静けさを持っている。いやより正確には、今この瞬間の静寂な闇の世界に波紋のように広がっていく小鳥たちの鳴き声のように、静かに、それでいて確かに振動しているような高揚感だと言えるかもしれない。
今朝は起床してすぐに湯船に浸かった。昨日は早朝に顔を洗うことはあったが、結局風呂に入らなかった。
一日一食生活を始めたのと同時に、化学物質が含まれているシャンプーや歯磨きなどの使用を止め、そこから二ヶ月ほど経ってみると、これまでの私はシャンプーや洗顔によって身体を汚し、歯磨き粉によって歯を弱体化させていたのではないかと気付かされるほどに、それらを使わないほうが身体と歯の健全性につながっていると実感している。
ココナッツオイルを湯船に垂らし、その湯船に浸かって髪の毛や顔を洗うようになってみると、頭皮の皮脂も顔の皮脂も非常に清潔なものになってきていることに驚く。そうしたことから、正直なところ、日中に汗をかいたわけでないのなら——人は就寝中に汗をかくという性質があることには注意が必要だが——、別に毎日風呂に入る必要もないのではないかと思い始めている。
ここ最近の日記で書き留めていたように、私は食事や入浴の時間を切り詰めようというような発想はない。そのように生き急いでいるわけでは決してなく、むしろ、日々の生活にどれだけゆとりをもたらすかを大切にしており、ゆっくりとくつろいだ形で一日を過ごすようにしている。
だが今の私には、どうしても勉強したいこと、実践したいことがいくつもあり、とりわけ作曲理論の学習と作曲実践というのはその筆頭である。そうしたことから、仮に入浴する必要がないのに毎日惰性で入浴しているということが何らかの根拠を通してわかったら、その悪習を断ち切る必要があるだろう。
食事に関しても、仮にその日に食べなくてもいいものを食べてしまい、その結果、学習や実践に充てる時間が削られてしまうのであれば、そうした意思の薄弱な食習慣を改めなければならない。そのようなことを思う。
起床して浴槽に浸かり、浴槽から上がった後は、当初はフローニゲンからバルセロナにリンゴ一個とキウイフルーツ一個を持って行き、それを今日の夕食にしようと思っていたのだが、新鮮なうちに食べておこうと思い、それらを水分補給として食べた。
また、今日は一日二食にしようと思っており、先ほどフルーツを食べたので、もう一時間ほどしたら、残っている玉ねぎ、にんにく、しいたけを切り、それらをレンジで温め、玄米味噌と一緒に味噌汁を作ろうと思う。それと、残っている有機豆腐を食べ、食後のデザートとして最後の一個のサツマイモを茹でたものを食べる。
これにて、先日購入した野菜を全て使い切ることができる。今日の夕食は、バルセロナの街のオーガニックスーパーに行き、そこで果物をいくつか購入し、それらを本日の夕食としたい。
今日は一日二食と言っても、そのように質素なものだ。外見上質素だが、内実は非常に豊かな二回の食事をフローニンゲンの街とバルセロナの街で楽しみたいと思う。フローニンゲン:2019/4/26(金)05:34
No.1889: Comfortableness in an Airport Lounge
Now, I'm in one of the lounges in the Schiphol airport. It is very calm and comfortable.
There are many people who have expectation for their coming trip. Schiphol Airport, 11:14, Friday, 4/26/2019
4241.【バルセロナ・リスボン旅行記】出発前の雑記
今朝の起床は午前四時であり、ここ最近は三時半から四時に目覚めることが習慣になりつつある。こうした早起きによって、その日一日がこれまで以上に充実したものになっているのを日々実感する。
早起きの効用というのは非常に大きいということが改めてわかる。今日のように四時に目覚めることが習慣になっていると、旅の時だけ早起きをすることに追われることがない。
今日もいつも通りに起床し、いつものように日記を書き、いつものように作曲実践をして、それから自宅を出発できるという余裕がある。しかも今日は、早朝にフルーツを食べ、野菜が少々入った味噌汁まで飲むことができる。こうしたことを全て行ってから旅を始めることができるというのは有り難い。
起床直後には聞こえなかった小鳥たちの鳴き声は、今ではもう十分に聞こえている。私が起床して風呂に入り、風呂から出る頃に鳴き声が聞こえ始め、それは四時半を過ぎたあたりのことだったと思う。
それを考えると、そこから一時間が経った今この瞬間に聴いている彼らが生み出す曲は、第二楽章あたりに差し掛かった頃だろうか。
午前五時半を迎えた今、空がダークブルーに変わり始めている。昨夜就寝中には雨が降ったようなのだが、今はすっかり雨も止み、自宅から駅まで歩いていく際には小雨が降ることを覚悟していたのだが、もうその心配はなさそうだ。
六日間のバルセロナの滞在期間中も幸いなことに、日曜日の朝、観光をする前の時間帯に二、三時間ほど小雨が降るだけのようであり、現地では傘を差すことがないかもしれない。もちろん、いつものように折り畳み傘は持っていくが、それを使わないような天気良い日が続いてくれればと思う。
バルセロナに滞在期間中の気温に関しても申し分なく、最高気温は軒並み20度以下なので、非常に過ごしやすいだろう。今日からの旅行では冬用のジャケットは必要ではなく、確かに今日これからフローニンゲンの駅に行くまでは少々冷えるだろうが、マフラーや手袋を持っていく必要もない。
昨日、デン・ハーグに住む日本人の友人と話をしている時に、この季節のオランダの気候に関する話題となった。オランダの春は、暖かくなったと思ったら冬のような寒さが戻り、再び暖かくなったと思ったら、再度また冬のような寒さになる。
そうしたシーソーゲームを繰り返しながら、気がつけば夏がやってきて、「これが夏だ」と言わんばかりの日は、なんと一週間から二週間ほどしかない。そもそも一般家庭においてクーラーなどないのがオランダの家の特徴であり、一昨年にフローニンゲン大学の研究機関でインターンをしていた時の指導教授が述べていたように、クーラーが必要になる暑い日など、オランダでは数えるほどしかないのである。
いろいろと雑多なことを書き留めてしまった。今日はもう少ししたら作曲実践を行う。本格的に一曲作るほどの時間はなさそうであるため、作曲上の写経実践を行う。
昨日から本格的にこの実践を始めたのだが、もう子供のように楽しんでその実践にのめり込んでいる。まさか写経が童心に帰らせてくれる効果を持っているとは思ってもみなかった。
いや、私は作曲という創造行為においては子供同然なのであるから、そうした純粋無垢な感情が現れるというのはおかしなことではないのかもしれない。仮にこれから数年、数十年、そして一生涯にかけて作曲を継続していくことになったとしても、写経実践を通じて得られる今の気持ちを忘れたくはない。
そこに自分の創造活動上の大切なものがあるような気がするのだ。フローニンゲン:2019/4/26(金)05:53
No.1890: At Dusk in Barcelona
The first day to stay in Barcelona is now approaching the end. This city gives me something important.
I’ll go to bed shortly, appreciating what Barcelona provides me. Barcelona, 20:46, Friday, 4/26/2019
4242.【バルセロナ・リスボン旅行記】深層的な自己との出会いをもたらす旅
これからスキポール空港に向けて出発する前に、仮に一曲作る時間がなければ、作曲はバルセロナに到着し、街の散歩を終えてホテルに戻ってきてから行っても良いかと思う。あるいは、念のためスキポール空港には早く到着するため、空港のラウンジで一曲作ってもいいだろう。
空港に到着してから搭乗の時間までは二時間弱あるため、ラウンジではおそらく一時間半ほどはくつろげると思う。そうした時間があれば、一曲ほど短い曲を作ることができるかもしれない。
すでにバルセロナの空港からホテルまでの地図などをPDF化し、その他の諸々の準備もできているので、準備に関してはもう心配はいらない。フローニンゲン駅を出発する列車は7:48のものであるから、念のため、自宅を7:10に出て、ゆっくりと歩いて駅に向かいたい。
旅の出発日に自宅から駅に向かう最中は、いつも様々な感情が胸の内に現れる。今日はどのような感情が姿を見せてくれるだろうか。自宅から駅に向かって歩いていくことの中には、そうした楽しみもある。
駅に到着し、切符を購入したら、小さな水を購入するか、オーガニックのココナッツウォーターでも購入しようかと思う。それを持って列車に乗り込み、そこから二時間ほど列車に揺られればスキポール空港に到着する。
列車に乗っている間は、日記を執筆することと、とにかく写経実践に集中したい。今の私の実践の核はとにかくこれだ。
今日目覚めたのも、写経を楽しみにしていたからだと言っても過言ではなく、今日生きようとしているのは、写経を楽しみにしているからだと述べても言い過ぎではない。それほどまでに写経実践に愚直に取り組みたいという思いがあり、この実践を通して得られる喜びの感情は計り知れない。
写経実践に向かわせる途轍もなく大きな力が自分の中にうごめいている。もしかしたらそれは、自分の創造活動を司るダイモーンの力なのかもしれない。
とにかく今は、そうした力にあやかりながら、その力の流れの中で、写経実践を日々行っていく。場所も時間も関係なく、写経の実践に打ち込んでいく。
今日で言えば、列車や飛行機を通じた移動時間など、PCを広げられる時間には写経実践に打ち込んでいく。あるいは、PCを広げられなくても、これから写経の実践が進んでくれば、理論書の譜例を眺めるだけで音を頭の中で鳴らせるようになってくるかもしれない。
いやむしろ、そうした状態に到達することは不可欠であり、そうした状態に至って初めて、自分の真の作曲実践が始まると言ってもいいかもしれない。写経実践の深まりを確認する試金石として、その点を絶えず念頭に置いておきたい。
そうした写経実践に並行して、今日も私は場所も時間も関係なく、言葉を通じた日記を書くだろう。日記の執筆と作曲実践は、確かに異なる実践だが、それらは不可分のものでもあり、両者の根っこは共に一つのものである。それが昨日の友人との交換セッションを通じて改めて判明した。
写経実践と行き来する形で、今回の旅の移動中、さらにはホテルの自室にいる時間は、日記の執筆を旺盛にしていくだろう。過去の日記の編集に関しては、作曲の理論書や楽譜を広げにくい、飛行機の機内の中で進めていこうと思う。
今回の旅を通じて生まれる唯一無二の生命としての言葉および曲がいかなるものになるのかは、本当に未知であり、今からそれらとの出会いが自分でも楽しみである。結局旅とは、自分との深層的な出会いに他ならないのではないかと思えてくる。フローニンゲン:2019/4/26(金)06:09
No.1891: The Early Morning on the Second Day to Stay in Barcelona
The second day to stay in Barcelona just began.
I wan to visit the Museu Nacional d'Art de Catalunya today. Barcelona, 04:47, Saturday, 4/27/2019
4243.【バルセロナ・リスボン旅行記】旅行出発の朝に見た夢
これから味噌汁を飲む前に、今朝方の夢について振り返っておきたい。バルセロナ・リスボン旅行に向けた出発の朝に見た夢は、下記のようなものであった。
最初の夢を一言で述べるならば、それはとてもスリリングなものであった。どういった意味でスリリングだったかというと、知的な意味においてである。
夢の中で私は、囲碁界の巨匠と囲碁を打っていた。それは「指導碁」と呼ばれるもので、師匠が弟子に、あるいは実力のある者が自分よりも実力が下の者に囲碁を教えるということを目的にしたものである。
なんとそこでは、巨匠が私に囲碁の指導をしていたのではなく、私がその巨匠に指導碁を打っていたのである。私は囲碁など全く経験したことなく、ルールも知らないはずなのだが、囲碁の歴史が始まって以来最強と謳われるその巨匠が思わず苦笑いを浮かべるほどに、高い棋力を私は持っているようだった。
幽玄な部屋の中で、巨匠と私は静かに囲碁を打っていた。畳のなんとも言えない香ばしい香り。達筆さを超えた達筆さの境地にある美しい掛け軸。その下に置かれている見事な花瓶。
そうしたものに囲まれながらも、巨匠と私は深く広大な囲碁宇宙の中にいて、碁石を通じた深い交流を図っていた。それは知的な交流というよりも、魂の交流だと私は思った。
巨匠が彼自身の言葉としての一手を打ち、その言葉と対話をするかのように、私は自分の言葉としての一手を打った。幽玄な部屋にその一手の音がこだました時、夢の場面が変わった。
次の夢の場面では、私は実際に通っていた小学校にいた。厳密には、ニワトリ小屋の前にいた。
そこでニワトリを観察していたのではなく、運動場から靴箱に戻ってくる小学三年生たちの様子を観察していたのである。最初に数名の男子生徒が靴箱に帰ってきたのを目撃した時、私はすぐに異変に気付いた。
それは何かというと、彼らは小学校三年生にもかかわらず、全員頭が白髪だったのだ。身長に関しても成長が遅れているようで、皆比較的小さかった。
彼らの白髪は、若白髪とかそういう次元の話ではなく、それこそ70歳や80歳の白髪のそれであった。私は彼らの白髪を見たとき、直感的に、彼らの食生活が劣悪であることが原因だと思った。
不思議なことに、男の子たちの後に靴箱に帰ってきた女の子たちを見てみると、彼女たちの髪は黒々としていた。すると、一人の男の子が私に話しかけてきた。
見るとその子は、中学校時代のバスケ部の後輩だった。彼本人であるはずなのだが、なぜかその子は後輩の弟だと述べた。
私は、その子が嘘をついているとは思わなかったが、事実として、その子は後輩本人であるはずだった。その男の子は、私がここで何をしているのかに関心を持っているようだった。
私:「今はねぇ、小学三先生から六年生までの子供たちを観察してるんだ」
男の子:「ふぅ〜ん、そうなんだ。何か面白いことわかった?」
私:「うん、まぁね」
男の子:「それは良かった。ところで、観察の許可は取ってるの?」
その子は別に大人びているわけでは決してなかったのだが、突然、観察の許可を私が取っているのかを確認してきた。それには一瞬驚いたが、「先生から依頼されてのことだよ」と私は述べた。
するとその子は、「それなら良かった」と述べて、靴箱の方に消えていった。フローニンゲン:2019/4/26(金)06:25
No.1892: A Morning Song in Barcelona
I can’t hear a twitter of little birds here in Barcelona.
Yet, I can sense a song of this city in the early morning. Barcelona, 06:42, Saturday, 4/27/2019
4244.【バルセロナ・リスボン旅行記】「神の一音」を求めて
たった今、スキポール空港に向かう列車の中に乗り込んだ。出発は間もなくであり、列車が動き出すまでにはもう数分ほどある。
今日は金曜日であるから、車内にいる乗客の多くは、通勤や通学をしようとしているのだろうか。そうであったとしても、この国特有のくつろいだ雰囲気が車内に広がっている。車内にはコーヒーの香りも漂う。
一人でこれから目的地に向かう者は新聞を読んでいたり、本を読んでいたりする。数人でどこかに一緒に向かおうとしている人たちは、会話を楽しんでいる。そうした雰囲気の中に、今この瞬間の私はいる。
そしてまた、ここに私がこのようにして存在しているということも、この列車の雰囲気を構成することに一役買っているのだろうとも思う。
今朝、早朝の四時に起床した際には雨が上がっていたのだが、自宅を出発する少し前から小雨が降り出した。今回の旅行においては、折り畳み傘を使うことはほとんどないと思っていたのだが、出発の時にそれは活躍することとなった。
雨と言っても激しいものではなく、小雨程度であったことは幸いだ。自宅からフローニンゲン中央駅に向かうまでの道中、自分の意識は内側に向かっており、これから始まる旅について、そしてその瞬間の自分の思考や感情に集中していた。
予定していた時刻に駅に着いた私は、すぐに列車のチケットを購入し、チケット売り場のすぐそばにある売店で水を購入した。その水を持って列車に乗り込み、今列車がスキポール空港に向けて出発した。
ちょうど私の反対側の席には、私よりもふた回りほど大きなスーツケースを携えた中年の女性が一人座っている。その女性は小雨の降る窓の外の景色を眺めている。
私も自分の席側の窓の外を眺めてみた。そこにはいつも列車に乗る際に眺める、オランダの長閑な田園風景が広がっていた。
フローニンゲンから出発する際には、この景色を眺めてくつろぎ、フローニンゲンに戻ってくる際には、この景色に落ち着く。この景色の魅力はそうしたところにあると言えるだろう。
これからスキポール空港まで、二時間ほど列車に揺られる。その際には、日記を書き留めたり、作曲上の写経実践を行う。
日記の執筆と作曲実践の往復運動をこの旅でも行っていく。もはや日記と作曲は自分の人生そのものと不可分のものなのである。それらから一瞬たりとも離れたくはないという思いが湧き上がる。
私はもう自分の言葉と自分の音を通じてこの世界を生きたいのだと思う。自分の言葉と自分の音を求める旅はまだまだ続く。そして、その旅に終わりがないことをもはや知っている。
自宅から駅に向かって歩いている最中、今朝方の夢について思い出していた。それは早朝に書き留めた、囲碁の巨匠と囲碁を打つものである。
碁盤上で私たちは確かな対話を行っていた。いや、それは碁盤上というよりも、各自が持つ囲碁宇宙とそれらが生み出すさらに巨大な囲碁宇宙の中での対話だったように思う。
その時の情景を思い出しながら私は、夢の中の巨匠と自分は、お互いに「神の一手」を求め、一手一手を通じた対話を通して、共通の神の一手を求めていたように思えたのである。そして私は、現実世界の自分においては、ひょっとすると、「神の一音」なるものを求めて日々精進しているのかもしれないと思わされたのである。
それは自分にとっての神の一音であればいい。誰しもがおそらくそうした一音を持っており、自分なりのそれを見出した時、それらの音は共鳴を始め、それが共通の神の一音になりうるのではないかと思わされたのである。
今朝方の夢はそのようなことを私に教えてくれた。スキポール空港に向かう列車の中:2019/4/26(金)08:01
4245.【バルセロナ・リスボン旅行記】絶えず今ここにある生きることの喜び
気がつけば起床から四時間ほどの時間が経ち、時刻は午前八時を迎えた。小雨も弱まり、雨が止むのはもうじきだろう。
幸いにも、午後に到着するバルセロナの天気は晴れであり、ホテルのチェックインを済ませたら、早速バルセロナの街に繰り出し、散歩を楽しみたい。時間的にゆとりがあるだろうから、ガウディの建築を二、三見て歩きたいと思う。
今、フローニンゲン駅の隣駅であるアッセンに到着した。次は、オランダ北部の中規模の町ズヴォレに到着する。
ズヴォレというのは音楽的に意味のある町だということを先日知った。詳しくは覚えていないが、中世の時代にドイツから音楽家がズヴォレの町にやってきて、この町の教会音楽を発展させていったということを先日知った。
そのため、フローニゲンと同じく、ズヴォレには立派な教会がいくつもあるらしい。そのような特徴を持つ町の駅をこれから通過していく。
ズヴォレの町にはこれまで三回ほど訪れたことがある。ズヴォレには移民局があり、そこでビザ関連の様々な手続きを行った。
この夏にオランダで起業家ビザを取得する際にも、おそらくズヴォレの移民局に一度は訪れることになるだろう。そのようなことを考えてみると、やはり私はこの国では移民なのだ。
欧米での生活も八年目を迎えようとしており、欧州での生活が三年目を迎える前あたりで、以前まで感じていた異邦人性が溶解していったのを覚えている。
今は母国にいても、外国にいても、ただ自分自身がそこにある。あるいは、自分自身という認識すらも溶解して、一人の人間がただそこにいるというシンプルな感覚がするのである。
こうした感覚的な変容が起こるとは予想もできなかったことであり、またこの感覚もそれが実際に生まれ出て来なければわかりようのないものだということがわかる。人は発達を遂げていくと、世界認識が変容すると言われているが、それは世界を見通す力が変容するのみならず、感覚の種類と質までもが変容するのだということが改めてわかる。
今の自分には、再び新たな感覚の土壌が開かれ始めていることがわかる。そうした感覚を育み、沃野に変えていくこと。
そのためには、毎日をいかに生きるかということが重要になり、今このようにして行なっている旅もまた、感覚的土壌を耕すための最良の肥やしになるだろう。今回の旅を通じて、また一つ感覚的平野が新たに切り拓かれていくことを期待したい。
列車はゆっくりとオランダの田園風景の中を走っていく。幸いにも小雨が止み、静かな朝の世界が広がっている。
放牧された馬や羊たちが草を美味しそうに食べている姿が見える。彼らのように、生きることのシンプルさの中で生きること。日々の一挙手一投足の中に喜びの萌芽を見て取り、その喜びを通じて生きること。
たった今、車掌と挨拶を交わし、チケットを受け渡しするというそのシンプルな行為の中に生きる喜びを見出すこと。それができないのであれば、人間として真に生きていない。
人は生きることの喜びを、何か特別な行為の中に見出そうとしがちである。だが実際には、行きる喜びというのは、何か特別な行為の中にあるのではなく、生きるという全体の中に絶えず様々な形で無数に存在しているのだ。スキポール空港に向かう列車の中:2019/4/26(金)08:19
4246.【バルセロナ・リスボン旅行記】スキポール空港に向かう列車の中で振り返る今朝方の夢の続き
まだバルセロナにも、そしてアムステルダムのスキポール空港にさえ到着していないのに、今日は随分と日記を書き続けている。自分の人生が水の如く流れゆく形で進行しているのと同様に、言葉が水の如く生み出されていくかのようだ。
スキポール空港に到着するのは9:55とのことであるから、あと一時間半ほどである。この日記を書き終えたら、作曲上の写経実践に励みたい。
持参したBOSEの小型スピーカーをPCと耳に挿入し、過去の偉大な作曲家が産み出した曲の譜例から、彼らの音楽宇宙を再現し、実際に自分の手を動かしながらそうした宇宙を創るという経験を追体験していく。
これを毎日、これから何年間も行っていく。いや、自らの生涯を閉じるその瞬間までそれを行ってもいいかもしれない。
起床してから四時間半ほどが経ち、なおかつ今は自宅ではなく、スキポール空港に向かう列車の中にいるのだが、今朝方の夢の続きを思い出している。夢の中で私は、実際に通っていた小学校にいた。
そこの子供たち、より具体的には小学三年生の男の子たちの髪の毛が白髪になっていた場面にはついては早朝に書き留めていた。その後、私は男の子たちと別れ、靴箱を後にし、校門の方に向かっていた。
そこで小中学校時代の男友達(KM)と小中高が同じだった女友達(KF)と遭遇し、三人で一緒に帰ることにした。校門を出たところには空き地があり、その前を通って歩いていると、私はまだ歩き始めてすぐにもかかわらず、突然疲労感に襲われた。
全身がだるいというのではなく、なぜか足が重くなり、足が前に進んでいかなくなってしまったのだ。すぐに私は、二人と一緒に帰ることはできないと思い、二人には自分を置いて先に帰ってもらうようにお願いをした。
二人は少し心配そうに私の方を見て、静かにその場を後にした。その場に残された私は、本当に足が一歩も前に出ないような状態になっており、その場にしゃがみ込むしかなかった。
なぜだか私はランドセルを背負っており、それを地べたに置いて、ランドセルを枕代わりにして、歩道の上で寝っ転がることにした。足を自分の心臓よりも高く上げ、足の疲労を取ろうと試みると、それがうまくいき、徐々に自分の足が軽くなるのがわかった。
そこで私は、いったん学校に引き返し、母に車で迎えに来てもらおうと考えた。学校へ引き返してみると、時刻はすでに夕方になっており、辺りは暗くなっていた。
そして学校の校門を抜けてみると、そこが大きな駐車場になっており、様々な路線を走るバスがたくさん停まっていた。私は、母に迎えに来てもらうのではなく、バスで帰ることもできるなと思ったが、どのバスに乗って良いのかわからず、また出発時刻も不明であったから、やはり校内の電話を使って母に迎えに来てもらおうと思った。
先ほどまでは小学校だと思っていたその場所は、いつの間にか大学のような雰囲気になっており、立派なカフェテリアがそこにあった。カフェテリアに入ってみると、そこには同学年の友人や後輩たちがいながらも、見知らぬ学生たちが多くいた。
名前のわからない人たちがいるというのは、まさに大学の人間関係と同じであり、そこはやはり大学なのだと思った。すると、小学校時代の男友達の一人が私に声をかけてきて、これからクラスコンパがあると言う。
クラスコンパというのはまさに大学に入学して初めて経験したものであり、それは懐かしく思ったが、私はそうしたコンパに参加するのがあまり好きではなく、自分の勉強を優先させたいため、参加を断った。すると彼はスッと消えた。
私はもう暫くこのカフェテリアで休憩しようと思い、何か飲み物でも飲もうかと思った。ふと気がつくと、いつもであれば飲まないであろうレモネードを左手に持っており、それを持って空いている席を探した。
ちょうど近くに、小中高時代の友人が三人(TO & HY & SS)ほどいて、彼らと話をしながら休憩しようと思った。その前に、レモネードが入った柔らかいプラスチックの容器の蓋を取りに行き、その蓋をしようと思ったら、サイズが合わずに手こずった。
すると私は飲みかけのレモネードの残りを全てこぼしてしまい、地面にこぼれたそれを紙ナプキンで拭き取り、そこからは水を飲むしかないと思った。そこで夢から覚めた。スキポール空港に向かう列車の中:2019/4/26(金)08:41
4247.【バルセロナ・リスボン旅行記】晴れ渡るアムステルダムの上空から
今、バルセロナに向かう飛行機がアムステルダム上空の空に飛び立った。早朝の天気とは打って変わり、現在のアムステルダム上空の天気は非常に良く、青空が広がっている。
これからおよそ二時間後に到着するバルセロナの天気も良好であり、午後の三時半あたりにホテルのチェックインを済ませ、自室に荷物を置いて一息ついたら、バルセロナの街に繰り出そう。
散歩をしながらバルセロナの街並みを堪能し、その雰囲気を感じたい。
数ヶ月前までスペイン・ポルトガルと自分との距離を感じていたのだが、それらの国は一気に私に接近し、先日突然旅の計画を思いつき、それを実行して今私はバルセロナに向かっている。
今日の夕方にバルセロナの街を散歩する際には、この街が生んだ建築家のガウディの建築物を主に見物する。しかし、ガウディの建築だけに意識を向けていてはならず、絶えず自分の意識を多様な存在者に開いておこうと思う。
そうでなければ、この街が私にもたらしてくれる諸々の刺激及び促しを真に享受することはできないだろう。
バルセロナの街を思い思いにのんびりと散歩したい。バルセロナの街にはどのような時間が流れているのだろうか。
バルセロナという街は、一体どのような呼吸をしているのだろうか。そして、どのような音楽を奏でている街なのかだろうか。
街だって人間と同じく呼吸をし、歌を歌うのだ。それに気づけない愚かな人間にだけはなりたくない。
先ほどまで空港のラウンジにいた。ここでもプライオリティーパスは活躍をし、このカードがあれば、世界の空港の指定ラウンジを無料で利用することがきる。
更新は一年間隔であり、先日母が日本から今回の旅行に間に合うように迅速に郵送してくれた。そのおかげで、アムステルダムの空港では十分にくつろぐことができ、簡単に二曲ほどのスケッチを描くことができた。
今日から旅行が始まるということで、今朝は残っていた果物や野菜を食べ、空港のラウンジでもフルーツを食べた。今回の旅行中は、朝に果物を食べ、夜にオーガニックサラダをメインにした料理を食べるという生活を送っていく。
バルセロナとリスボンの両都市において、すでにオーガニックレストランを何軒か見つけており、オーガニックスーパーも何店か見つけている。今日はガウディの建築物を見学し、その帰り道にバルセロナ市内のオーガニックスーパーに立ち寄り、三日分か四日分の果物を購入する。
フローニンゲン駅からスキポール空港に向かう列車の中で、作曲上の写経実践をし、この実践がもたらす恩恵に気づいてばかりである。譜例をキーボードを用いて再現し、それを再生して実際に音を聞いた後に、その続きの音楽を自分の頭の中で鳴らしてみるという工夫をしている。
基本的にたいていの曲は問いと答えの応答によって構成されており、自分なりに良い問いと良い応答とはどのようなものなのかの基準を確立していくことに努めている。譜例の中には、問いだけが抜粋されているもの、逆に応答部分のみが抜粋されているもの、はたまた問いと応答がセットになっているもの等々、ヴァリエーションがあり、それらを参考にしながら自分なりの応答基準を練り上げていく。
譜例を作曲ソフト上に再現し、それを実際に再生して自分の耳で聞いてみると、耳を鍛錬する良い訓練になる。私は30歳になるまで音楽に意識的に触れたことはなく、耳の訓練などしたことはないのだが、ここから意識的にどこまで自分の耳を鍛錬できるのかに挑戦してみたいと思う。
そのためには、実際に音を出し、自分の耳を使って音を聴くということが何よりも大切になる。ここで鍛えていくべき耳は、身体意識の階層構造に対応したものになる。
つまり、グロスの耳(gross ears)、サトルの耳(sutble ears)、コーザルの耳(causal ears)は最低限鍛えていくべき耳の階層構造である。高次元の耳にまで焦点を当てて自らの耳を涵養していくのみならず、自分の色彩感覚、形象感覚、味覚、触覚などを活用して、聞いた音に色、形、味、触り心地などを見出すようにする。
こうした鍛錬を続けていけば、音楽を創出する際の自分独自の感覚が涵養されていくはずであり、究極的な音に近づいていくことができるのではないかと思う。アムステルダム上空:2019/4/26(金)13:05
4248.【バルセロナ・リスボン旅行記】刹那的な出会いへの感謝の表明
バルセロナに到着するまであと一時間半ほどの時間がある。そうした時間的ゆとりがあることが嬉しく、その間に私は日記の執筆、日記の編集、作曲上の写経実践に励むことができるだろう。
言葉を紡ぎ出すことと、音を紡ぎ出すことしかない人生。本当にそれらしかない人生であり、逆にそれらしかないということが、この人生に全てあるということを完全なまでに担保している。
アムステルダム空港を出発した飛行機は、順調にバルセロナに向かっている。私はいつも、欧州国内の移動においては、移動時間が短いため、基本的にエコノミークラスに乗るようにし、日本に一時帰国する際は必ずビジネスクラスに乗るようにしている。
そのため、欧州国内を移動するときには、プライオリティーパスを用いて、アムステルダム空港のAspireラウンジを活用し、日本に一時帰国する際にはKLMラウンジを活用するようにしている。
本日、セキュリティーを速やかに抜けた私は、Aspireラウンジのある階に向かってみたところ、これまであったはずのAsipreラウンジがないことに気づいた。見ると、工事をしているようであり、AspireラウンジはKLMラウンジのある階よりも一階上に新しく設けられていた。
新しい場所に移ったAspireラウンジは大変綺麗であり、以前の照明は意図的にか少し薄暗かったのだが、新しいラウンジは外の景色が見られるように開放的な大きな窓が設けられており、ラウンジ全体がとても明るかった。
また、個室ブースのような席がラウンジの壁際に何席か設けられており、今回私はそのうちの一つを使った。楽譜を広げるスペースが十分にあり、持参したハイドンの楽譜を参考にしながら作曲実践を行うことができた。
仮に短い時間であっても、楽譜を広げるスペースがあれば、そこで曲のスケッチでもいいので、内側から形となって現れようとする音楽を曲の形にしていきたい。とにかく大量のスケッチを描いていくことを意識する。
スケッチを描く訓練を積み、先ほどラウンジで描いたスケッチを時間的にゆとりのあるホテルの自室で一応の完成形にしていく。今の私はこのように、楽譜とPC、さらには作曲ノートの三点がなければ作曲ができないのだが、理想的には、それらの道具がなくても、裏紙と鉛筆だけで曲をスケッチするような能力を身に付けたい。
そのためには、地道な学習と地道な実践の双方を継続させていく必要があるだろう。本当に理想は、いついかなる場所においても曲を生み出すことである。
詩人や俳人が、どこでも詩や俳句を詠めるように、どこでも曲が作れるようにしていく。例えば、今座っている飛行機の席からトイレに行くまでの感覚を曲にしていくことや、これからバルセロナに降り立ち、街に降り立った瞬間のその感覚を曲にしていきたい。
この人生において自分を捉えるありとあらゆるものを曲の形にしていくことができればと思う。この世界と自分の人生が交わる交点で生まれたもの、すなわち、自分という一人の人間がこの世界で生きているという証、あるいはこの世界のある瞬間において生きていたという存在証明を行うために曲を作っていく。
曲の形になろうとするものは、自分の内側だけから生まれているわけではないのだ。私は、自分の内側からしか生まれ得ないものを形にしようなどとは思っていない。
私が形にしようとしているのは、この世界と自分との固有の縁によって生まれた刹那的な出会いなのだ。そうした出会いがあったということを風化させないために、そうした出会いがあったということへの感謝の念を表明するために、これから私は精進を続け、自分なりの曲を作っていく。アムステルダム上空:2019/4/26(金)13:23
4249.【バルセロナ・リスボン旅行記】バルセロナでの音楽的出会い
時刻は午後の七時半を迎えた。バルセロナ滞在の初日がゆっくりと終わりに向かっている。
午後二時半にバルセロナ空港に無事に降り立ち、そこから宿泊先のホテルがあるBarcelona Sans駅に列車で向かった。飛行機から降りて空港駅まで少しばかり距離があるように感じたが、無事にすぐに見つけることができた。
今日の天気がすこぶる良かったためか、空港駅周辺の雰囲気は常夏のような陽気さを感じさせてくれた。不思議なことに、やはりアムステルダムでは感じられないものがバルセロナにあることがすぐにわかった。
どの街にも固有の魂が宿っており、それがこうも異なる感覚を自分に呼び起こしてくれることに改めて驚く。土着神というのは本当に存在しているのだ。
バルセロナに住む土着神の性格は、間違いなく陽気であろう。今回初めてバルセロナに足を運んだのだから、そんなにすぐにこの街に住まう神の性格などわかりようはないと思われるが、だが間違えようのないものも確かにあるのではないかと思う。
空港駅に到着し、午後の太陽の光がプラットホームに差し込み、その光を浴びていると、この街の土着神の陽気さがやはり滲み出ていたとしか言いようがない。バルセロナ国際空港から市内に向かう駅構内で迷うことはなく、すぐに予定通りの列車に乗ることができた。
列車に乗った私は、列車が出発するまでの時間を使って、過去の日記を少しばかり編集していた。いざ列車が出発する頃にはちょうど編集が終わり、仮にそれが終わっていなくても、列車が動き出したら必ず窓の外の景色を堪能しようと思っていた。
この南ヨーロッパのスペインという国は、やはりオランダと異なる。それは肯定的な意味で異なるのだ。
列車が動き出してしばらくすると、車内から陽気な音楽が聞こえ始めた。ラテン系の陽気な音楽が鳴り始め、最初それはこの列車で流されているものかと思った。
しかしどうやらそれは、乗客の誰かが演奏しているものだとわかった。比較的若そうに見える大道芸人風のスペイン人の二人の男性が、音楽の演奏をしながら車内をゆっくりと歩いている。
乗客も皆興味津々の顔をして、中には手でリズムを取る乗客がいて、実際に私も思わず手でリズムを取っていた。「思わぬ形でスペインの音楽と出会うことができた」と私はすぐに思った。
ラテン系の陽気なリズムで刻まれる音楽が、私の内側の中に流れ込んできて、自分の内側にある何かを刺激していた。
異なる土地の、異なる文化で育まれる音楽。この世界には本当に、土地の数だけ固有の音楽が存在するのだということを改めて知って嬉しくなった。そしてその気づきは即、この世界には人の数だけ固有の音楽が存在することにも気づかせてくれたのである。
私は二人の男性がゆっくりと遠くの車両に向かって行く後ろ姿をしばらく眺めていた。そしてそこからは、彼らが奏でる音楽が聞こえなくなるまで彼らの音楽に耳を傾け、刺激を受けた自分の内側のリズムを刻みながら、窓の外に広がるバルセロナの景色を眺めていた。
ホテルの最寄駅に到着するまでにはそのような出来事があった。この音楽体験は、スペイン人固有の音楽に触れる一つの小さな原体験のようなものになりうるかもしれないという予感がある。
彼らの音楽を聴いている最中の自分の胸の高鳴りがその予感の確からしさを物語る。バルセロナに到着してすぐに、こうした音楽的な歓迎があったことは本当に喜ばしいことであった。バルセロナ:2019/4/26(金)19:58
4250.【バルセロナ・リスボン旅行記】バルセロナの街がもたらす陽気さと歓喜
バルセロナ滞在の初日が、なんとも言えない幸福感と共に終わりに近づいている。時刻は午後の八時を迎えたが、バルセロナの太陽もフローニンゲンの太陽と同様に、まだ沈む様子を見せていない。
今回六泊ほどバルセロナに滞在することになっており、宿泊先のホテルは、Barcelona Sansという比較的大きく、そして綺麗な駅の眼と鼻の先にある。
幸いにも駅から外に一歩出た瞬間に、宿泊先のホテルの姿が見えたため、迷いようがなかった。やはり空港から直結している駅近くのホテルに今回宿泊することにして正解だった。
これまで欧州内を旅行する際にもなるだけそのように配慮しながらホテルを選んでいるつもりなのだが、時に地図を見ても迷ってしまうことがあり、今回は相当に駅に近い場所を選んだ。
ホテルに到着し、すぐに受付でチェックインをした。受付のスペイン人の男性はとても親切であり、私が日本人であることがわかると、日本語で少し挨拶をしてくれた。私も挨拶程度の最低限のスペイン語をその場で覚え、早速受付で何度かそれを使わせてもらった。
部屋に到着してすぐに荷物を降ろし、今回の宿泊先のホテルにして正解だったと思った。デスクのスペースが広く、そのおかげで楽譜を広げながら作曲することができる。
フローニンゲンの自宅の書斎の机よりも幅が広く、このデスクに随分と多くのものを置くことができるのは有り難い。三月にパリに足を運んだ際に宿泊したホテルのデスクは手狭であり、少し窮屈な思いをしながら作曲をしていたのを覚えている。
今回の宿泊先のホテルのデスクであれば、何の心配もなく思う存分作曲実践と写経に打ち込めそうである。それが何よりも有り難い。
リスボンで滞在するホテルに関しても、空港直結のメインの駅から眼と鼻の先の場所にし、デスクが広く、かつ湯船があるホテルに滞在することにしている。
午後の四時前にホテルの自室に到着した私は、一息ついてからガウディの建築を見に行こうと思っていた。だが、足の三里辺りに筋肉痛があることがわかり、今回のバルセロナ滞在は比較的毎日余裕があるため、ガウディの建築物を巡ることは明日以降にした。
明日は、ホテルから近いカタルーニャ美術館だけに訪れる予定であり、夕方からは時間があるであろうから、明日の夕方にガウディの建築物を二、三見て、その足で街の中心部にあるオーガニックレストランで夕食を摂ろうと思う。
今日はガウディの建築物を見に行くことはしなかったが、その代わりに、ホテルの近くを散策し、目をつけていたオーガニックスーパーに足を運んだ。
ホテルから出てすぐに、バルセロナに漂う陽気さに大変心地よくなった。これはオランダではあまり味わえない感覚質の陽気さであり、ここに両国の土着神の性格上の違いを感じ取ることができる。
まだ滞在初日であり、しかも数分ほどしかバルセロナの街を歩いていなかったのだが、私はすぐに、仮に陽気さの中で曲を集中的に作る時期を設けるのであれば、その期間だけバルセロナに居住するのも悪くないと思わせてくれるほどであった。
とにかく、太陽の光を存分に浴び、こうした陽気さに浸ることが久しぶりであったため、私は自分でもわかるほどに上機嫌な中で散歩を楽しんでいた。
オーガニックスーパーでは、当初の計画通り、果物を十分に購入し、今日はイチゴ一パック、赤々としたリンゴ一個、バナナ一本、そしてフローニンゲンから持参したアーモンドとくるみを夕食として食べた。明日の夕食は、上述の通り、事前に調べておいた三軒のオーガニックレストランのうちの一軒に足を運び、良質な夕食を味わいたいと思う。バルセロナ:2019/4/26(金)20:17
4月26日(金)に生まれた曲たち
Op.1082 空港ラウンジの落ち着き
Op.1083 夕暮れのバルセロナ