タイトル一覧
3991. アルファロメオを田んぼ道で走らせる夢
3992. 今朝方の夢の続き
3993. 今朝方の最後の夢
3994. 空腹(Kufuku)=幸福(Kofuku):食品添加物に対する感覚の鋭敏化
3995. 断食に関する正しい知識の獲得に向けて
3996. 孤独に関する雑感など
3997. 本日の食事と断食について
3991. アルファロメオを田んぼ道で走らせる夢
今朝は六時に起床し、六時半から一日の活動を始めた。起床してしばらくすると、小雨が降り始めたが、今この瞬間は雨が止んでいる。
幸いにも今日は雨は降らず、ここからは曇りとなるようだ。最高気温が10度を下回るのは今日までであり、明日からは晴れる日が続く。ちょうど明日あたりに仕事上の契約書を日本に郵送しようと思っていたので、明日は散歩がてら近所の郵便局に行きたい。
いつも通り、まずは今朝方の夢について振り返ろうと思う。夢の中で私は、日本の田舎の地域にいた。そこは地元ではなく、見慣れない田園風景が広がっていた。
私は一人の知人と一緒に田んぼ道を歩いていた。すると、田んぼ道の先に一軒の立派な家が見えた。その家の庭は広く、石垣の塀が家を囲っていた。
私たちがその家の前を通ろうとすると、家の中から若い男性の声が聞こえた。庭には木がたくさん植えられており、家の中の様子は分からず、声だけが聞こえてくるような格好であった。
なにやら、その男性は庭にアルファロメオの車を駐車しているようであり、これからそれに乗ってどこかに出かけるという話をしていた。庭の前にいた私たち二人は、ちょっとしたいたずら心でその車に乗って逃走しようと思った。
車の方に近づくと、ドアが開き、エンジンもかけることができたので、私たちは何食わぬ顔で庭から車を発進させ、あえてゆっくりの速度で走り出した。すると、私たちの想定通り、車の持ち主の男性が事態に気づき、子分を連れて私たちを追いかけ始めた。
車の運転をしていたのは私であり、バックミラーを確認しながら、彼らがちゃんと走って追いかけているかを確かめながら速度を調節し、アルファロメオを田んぼ道で走らせていた。しばらくすると、そろそろ車を持ち主に返そうと思って、追いかけてくる彼らから距離を取ったところで車から降りた。
車の持ち主の男性はとても小柄であり、私たちが車を勝手に走らせたことに驚いてはいるものの、特に怒っている様子はなかった。そこで私たちは、田んぼの中に身を潜め、追ってくる彼らの様子を観察しようと思った。
車の持ち主の子分らしき人たちは、必死になって私たちを探している。私の知人は、私が隠れている場所とは違う場所に身を潜めており、完全に体が隠れていなかったためか、しばらくすると見つかってしまった。
一方私は、田んぼの稲の中、いやほぼ土中に身をひそめる形となり、稲と稲の隙間から向こう側を眺めることができるようにしていた。車の持ち主の子分は相変わらず懸命に私を探している。その様子を私は幾分楽しげに眺めていた。
二人の子分が、私が身を潜めている稲の真ん前にやってきた。一人の子分は稲の方を見たが、私の姿に気付く気配は全くなかった。
だが、もう一人の子分が、稲の方を凝視したとき、私が隠れていることに気づいたのである。彼と目が合った私は、笑顔で土中から姿を現し、自分を捕まえてくれと彼らに申し出た。
二人に両側を抑えられる形で、ゆっくりと田んぼ道を歩き、親分である車の持ち主のところに行った。知人と私は、その親分に一言だけ謝罪の言葉を述べ、私は車のキーを返そうとした。
しかしそのキーは変形しており、小さな鍵だったはずの金属が針金状に伸びており、それをそのまま車の持ち主に返した。ひときわ小さい車の持ち主は、その鍵を見て、特に弁償しろとも言わず、何を言ったらいいのかわからないような表情を浮かべながら私たちを見ていた。
そこで夢の場面が変わった。フローニンゲン:2019/3/18(月)07:11
No.1769: Fresh Clouds
The weather is very fine today.
I’ll go to the market at the center of the city to purchase fresh fish. Groningen, 11:49, Tuesday, 3/19/2019
3992. 今朝方の夢の続き
起床直後に見えていた薄い雨雲が消え、今はすっかり青空が広がっている。今日は一日中曇りとの予報が出ていたが、晴れ間が見える瞬間もあるようだ。
この瞬間のフローニンゲン上空の空を眺めてみると、もうしばらく青空が広がりそうだ。早朝に起床した時、外が寒いことはわかっていたが、空気の入れ替えを大々的に行いたいと思い、リビングと寝室の窓を大きく開放させて空気の入れ替えを行った。
確かに冷たい風が一気に部屋の中に流れ込んできたが、それは大変心地良く感じられた。フローニンゲンの寒さが厳しくなり始める10月から今にかけて、早朝に換気のために窓を開けることはほとんどなかったと思い、久しぶりに朝に空気の入れ替えを行ってみて清々しい気分になった。
起床直後に体をゆっくりと目覚めさせ、体温を緩やかに上げていくヨガの実践をしているのだから、明日からは早朝に今日と同じように換気をしたいと思う。
先ほど今朝方の夢について振り返っていたが、今朝はあと三つほど夢を見ていた。次の夢の場面では、私は高校の入学に合わせて引っ越したアパートの中にいた。
当時は犬を飼っていなかったのだが、現在実家にいるトイプードルの愛犬がそのアパートの中にいて、私は愛犬と遊んでいた。しばらくすると、奥の部屋の方からもう一匹のトイプードルが姿を見せた。
愛犬は男の子なのだが、奥の部屋からやってきたトイプードルは、耳の部分に花のかんざしが付けられており、それを見て女の子だと判断した。愛犬の毛並みの色はクリーム色であり、一方そのトイプードルの毛並みは白だった。
彼女はゆっくりと私の方に近づいてきて、「お腹が空いた」と述べた。いきなり人間の言葉を発したことに私はとても驚いた。
厳密には、彼女は口を開けていないのだが、私の内側に彼女が人間の声で自分に話しかけてくるのが聞こえたのである。私たちは幾分奇妙なコミュニケーションをしているとすぐにわかったのだが、彼女がお腹が空いているそうなので、ドッグフードを少量与えた。
すると、愛犬の方もお腹が空いているようなので、同時に愛犬にも少量のドッグフードを与えた。二匹が並んでドッグフードを食べている背中を見ていると、大変愛らしく思えた。
そこで夢の場面が変わった。次の夢の場面では、私は実際に通っていた中学校のグラウンドでサッカーをしていた。
私はどういうわけか、不慣れなゴールキーパーのポジションをおそらく率先して選んで試合に参加していた。相手チームのメンバーは見知らぬ人ばかりであり、こちらのチームに関しても状況は同じであった。
私の方のチームはサッカーの初心者が多く、一方相手チームは経験者が多い印象であり、力の差がはっきりしていた。実際に、私たちのチームは相手に攻められてばかりであり、ゴール前の私の仕事量はとても多かった。
相手チームとの差は技術的なものだけではなく、身体的にもそうであり、相手チームのメンバーは体も大きく、身体能力が総じて高かった。自陣のゴールから戦況を冷静に見つめる暇はほとんどなく、クロスからヘディングで二点ほど入れられてしまい、防戦一方であった。
二失点した後、私は思い切って、自陣のゴール前からボールを自分で運ぶことにした。それをしようと思ったのは、私がボールをキャッチし、そのままボールを蹴ろうした直前での出来事だった。
エリア内でボールをキャッチした私は、いざボールを大きく蹴ろうと思った時、このままボールを大きく蹴っても相手に取られるだけだという考えが突然芽生えた。だが、私はすでに三歩ほどボールを持って歩いており、昔のルールであった四歩制限のことが頭にあったのか、四歩目を踏み出す前に、自分の足元にボールを転がし、そこからドリブルで相手の陣内に上がっていこうとした。
当然私の味方は驚いていたが、相手選手も驚いていた。しかし相手選手は冷静な対応を即座に取り始めた。
私は自陣のゴールから右サイドの方に向かって斜めにドリブルをしていたのだが、それは確かに自分の意思でありながらも、同時に相手のポジショニングによってそちらに誘導されていたと言えなくもない。
そろそろ味方にパスをしないとゴール前まで戻れなくなってしまうと思った私は、味方にパスを出そうと思ったが、相手の選手のポジショニングが巧みであり、パスコースが消されていた。もうどうしようもないと思った私は、タッチライン際から相手のゴール前に向かって大きくボールを蹴りだすことにした。そこで夢の場面が変わった。フローニンゲン:2019/3/18(月)07:35
No.1770: Enjoyment of the Market
I went to the market at the center of the city.
I enjoyed seeing various foods there. I purchased fruits, vegetables, and fish. Groningen, 16:50, Tuesday, 3/19/2019
3993. 今朝方の最後の夢
見る見るうちに辺りが晴れてきた。近くから小鳥たちの鳴き声が聞こえてくる。
今日から新たな週が始まる。今朝方は印象に残る夢を随分と多く見ていた。
先ほど書き留めていたサッカーに関する夢の最後の場面では、そういえば失点をした後に、2000年代に活躍していたスペイン代表のエースストライカーの名前を味方と相手の選手に尋ねたところ、誰もその選手の名前を聞いたことがないと述べ、それに対して私は驚いていたことを思い出した。
味方も相手の選手も、私と年齢がそれほど変わらないため、元スペイン代表のそのストライカーの名前を聞いたことがないはずはないと思っていたため、私は随分と驚かされた。そうした驚きをもって終わったのがその夢の帰結だ。
今朝方見ていた最後の夢に関してはまだ書き留めていなかったので、それを最後に書き留めておく。夢の中で私は、コンサルタント会社に勤めていた頃のオフィスの中にいた。
そこには見慣れた顔がたくさんあり、オフィスの雰囲気はとても和やかだった。私は会社を辞めていたはずなのだが、なぜかその日はオフィスの中にいた。
どうやら、これから一週間をかけて、転職者のための説明会と選考が行われるようであった。私は以前働いていたこともあり、なぜだかもうすでに再びこの会社で働き始めていたのだが、一応私も説明会に参加することにした。
説明会に参加する前に、次に待っている選考プロセスについて確認していた。選考用のシートを見ると、経歴を記入する欄の下に、アカデミックの世界にいた人向けに、出版した論文のタイトルと、論文のリスクを低・中・高で選ぶボックスがあった。
最初私は、「論文のリスク」が何を意味するのかわからなかったが、それはインパクトのある論文を出版し、それに対してどこかの学会や民間企業から問題を指摘されるリスクのようなものを指しているのかもしれないと推測した。私の論文は分量も短く、内容に関しても大してインパクトのあるものではないと判断し、「低」のボックスにチェックマークを付けた。今朝方はそのような夢を見ていた。
一昨日、昨日と異なり、今日は穏やかな風が吹いている。午後も今と同じように青空が広がっていれば、ぜひ散歩に出かけたいと思う。予定では、明日に仕事関連の契約書を郵送するつもりだったが、それは今日中に行ってもいいかもしれない。
今から数ヶ月前にキッチンの電球が切れたのだが、またしてもそのまま放置していた。だが、フローニンゲンの今の自宅でもう一年生活することを決めたことに伴って、不動産屋に連絡をし、今日便利屋が新しい電球を取り替えにやってきてくれるとのことであった。
私が不在でも便利屋は電球交換をしてくれるようだが、一応交換が終わるまでは自宅にいようと思う。電球交換が夕方までに終われば、そこから郵便物を郵送しに散歩に出かけることにしたい。フローニンゲン:2019/3/18(月)08:06
No.1771: The Peaceful Twilight
I’m seeing the peaceful twilight now.
I’ll eat eagerly awaited dinner shortly. Groningen, 17:41, Tuesday, 3/19/2019
3994. 空腹(Kufuku)=幸福(Kofuku):食品添加物に対する感覚の鋭敏化
つい先ほどまでは晴れていたのだが、灰色の雲が突然上空に現れ、たった今、激しいあられが降ってきた。あられは書斎の窓に激しくぶつかり、その音に耳を傾けながら、窓の外の様子を眺めていた。
三月もこれから後半に入ろうとしているが、フローニンゲンはこのようにまだあられが降ったりするぐらいの気候である。明日からは少し気温が高くなるが、今日も気温が低いことに違いはないので、午後に郵便局に向かう際には暖かい格好をしていこうと思う。
昨夜就寝前にふと、空腹(Kufuku)=幸福(Kofuku)でありうることに気づいた。より厳密には、空腹によって身体の自己治癒力が増し、健康な身体を保つことが幸福につながりうるということについて考えていたのである。
昨夜の夕食について思い出してみると、昨夜の夕食はとても美味しかったと記憶している。特に、野菜と果物の旨味を堪能していたことを覚えている。
昨日はオーガニックのサツマイモを購入し、それを切ってみると、中までうっすらと紫色をしていた。それを電子レンジで茹でて食べると、甘みが際立っていた。
その他にも昨日からは、ブロッコリーだけではなく、カリフラワーも食べるようになった。昨日の日記で書き留めていたように、カリフラワーの栄養素とナッツ類の栄養素は相互作用をするようなので、夕食時にはナッツ類も合わせて食べた。
一日一食の生活を始めて、食に対する関心は高まるばかりである。こうした食生活を始めることによって、すでにいくつかの変化に気づいているが、一つは味覚が正常になったことによって、人工的な食べ物、特に食品添加物が含まれた食べ物に対する感覚が鋭くなったように思う。
端的には、そうした食べ物を口にすると、身体がそれを受け付けないようになってきており、できるだけそうした食べ物を避けるようにという指令を身体から受け取ることができるようになりつつある。
身体に食品添加物を取り入れた瞬間にそれに気づけること、あるいは食品添加物が含まれた食べ物を見た瞬間、そして匂いを嗅いだ瞬間に、それを身体に入れてはならないと気づけるように身体感覚が研ぎ澄まされてきているのは良いことだろう。鍛えられた聴覚が、外れた音を的確に捉えられるようになるのと同じように、食に関する諸々の感覚は鍛錬することが可能なのだということを知る。
以前までの私は、昼食後か夕食後にガムを食べることがあったのだが、ガムにも食品添加物が含まれており、断食中にはガムを口にしない方が良いという情報を見つけた。そもそも食品添加物がガムに含まれているのであれば、一日一食の24時間断食においてもそれを口にしない方がいいのではないかと思い、今日からガムを食べることをやめにした。
また、一日一食という24時間断食を日々行う中で、基本的に夜までは胃が空っぽの状態なので、コーヒーを飲むことも望ましくないのではないかと思えてきた。確かにコーヒーには、良い効能があることが確かだが、今の自分が求めている効能は少なく、必要な効能があったとしても、それは他の食べ物によって得られることがわかった。
やはり断食中は、胃が空っぽであるから、胃酸の分泌を増加させてしまうコーヒーを摂取するのは控えようと思う。これまで私は毎日コーヒーを飲んできたが、今日をもってコーヒーを飲むことをやめにすることにした。
これまで習慣にしていたことを一瞬にして止めることは容易ではないように思われるかもしれないが、悪習をその場で断ち切る意思の力と、一度決めたことをやり抜く意思だけは強い方だと思う。ガムに関しては一切食べることをやめ、コーヒーに関しては一日一食夜に食べることを行っている限りは飲まない。
つまり、コーヒーを飲むことがあるとすれば、どうしても避けられない会食が昼に入り、その食後にコーヒーを飲むぐらいだろう。そうした会食の機会は年に一回あるかないかなので、当分はコーヒーを飲むことはなさそうだ。フローニンゲン:2019/3/18(月)10:33
3995. 断食に関する正しい知識の獲得に向けて
少し前に降っていた激しいあられは止み、今はまた穏やかな天候になっている。普段は夜にホット蜂蜜を飲んでいたのだが、今日からは朝にそれを飲むことにした。
断食についてあれこれと調べていると、確かにチョコレートがインカ帝国の民を支えていたと言えるほどにチョコレートには効能があるが、普段私が食べているものは高カカオチョコレートとはいえ、砂糖が入っていることには変わりないので、これからは少しずつ食べる量を減らしていこうと思う。
ちょうど今冷蔵庫に入っているチョレコートを全て食べ終えたら、今後はチョレコートを控えるようにしたい。午前中に、チョコレートをひとかけら食べた時、それを口の中で溶かして食べていたため、ほぼ水分と同じなのではないかと思っていたが、胃腸はそれを食べ物だと判断してか、活発に動き始めたことには驚いた。
ここ数日間は一日一食の24時間断食を継続させているが、朝と午後にチョコレートをひとかけら食べていたため、胃腸がそれを固形物であるかのようにみなしていた反応を見ると、純粋な意味での断食ではなかったのかもしれないと思う。
昨夜は夕食後に、断食に関するドキュメンタリー番組を含め、いろいろと情報を取集していたが、断食に関する正しい知識を持つことの大切さを知った。断食も一つの実践技法であり、その方法を誤ってしまうと身体を壊しかねない。
特に断食に向けての準備や、断食中にどのように過ごせばいいのか、さらには断食後の回復期における食事はどのようなものを摂るべきなのかについて正しい知識がなければ、この実践は危険ですらあり得ると思う。そうしたことから、断食について本格的に知るために、先ほど英国のアマゾンを経由して、下記の三冊の書籍を購入した。
1. “Prof. Arnold Ehret's Rational Fasting for Physical, Mental and Spiritual Rejuvenation: Introduced and Edited by Prof. Spira (2014)”
2. “The Science and Fine Art of Fasting (2013)”
3. “The Transformational Power of Fasting: The Way to Spiritual, Physical, and Emotional Rejuvenation (2012)”
最初の書籍の著者であるArnold Ehretは、ドイツの食に関する研究者であり、書籍の中身をざっと確認したところ、非常に得るものが多いと判断した。ただし一つ気になったのは、断食は長寿遺伝子を活性化させるため、健康な体で長寿を全うできるという効果があるはずなのに、著者自身が56歳という若さで亡くなっていたことである。
調べてみると、死因は脳の損傷によるものであるとのことであり、身体的な病ではないことがわかった。いずれにせよ、上記の三冊が届き次第、早速全ての書籍に目を通して、食と断食に関する正しい知識を身につけていこうと思う。
一日一食の生活を始めて、間違いなく心身の調子が良いことは確かであり、なんとあれだけ悩まされていた手荒れも完治しつつあるため、断食の効果があることは体験を通じてわかっているが、とにかく間違った実践をしないようにしたい。
今週末から実験的に四日ないしは五日間ぐらい何も固形物を食べない試みをしてみようかと思う。「病気の際はしっかり食べないといけない」という医者はヤブ医者とのことであり、確かに例えば二年前の年末に日本に一時帰国した際に体調を崩した際は、できるだけ何も食べずに体調を回復させたのを覚えている。
そもそも、体調を崩した際に食欲が落ちるというのは、体調を回復させるための自然な反応なのではないかと思われるため、そこで無理に食べ物を食べることはやはり回復を遅めてしまうのだろう。人間の身体というのは本当に奥が深い。
昨日見ていたドキュメンタリー番組において、皇帝ペンギンが取り上げられており、皇帝ペンギンは四ヶ月間全く何も食べずに過ごす時期があるらしい。皇帝ペンギンの体内の脂肪の量から計測してみると、それくらいの期間は何も食べなくても問題ないらしく、人間の身体においてどれだけ食べなくても問題ないのかについても議論がされていた。
今週末から数日間にわたる断食をする際には、チョコレートを含め、固形物は一切摂らないようにする。朝晩に蜂蜜をお湯に溶かしたものは飲んでもいいのかもしれないが、あとは基本的に水を飲んで過ごそうと思う。回復食に関しては、バナナなど糖質の多い果物は適さないとのことなので、何が最適なのかはまた調べてみたい。フローニンゲン:2019/3/18(月)11:40
【追記】
おそらく、いきなり四日間や五日間の断食を行うのは賢明ではなく、現在24時間の断食生活(一日一食生活)を送っており、それが問題なく行われているため、まずは二日間の断食から始めてみようと思う。フローニンゲン:2019/3/19(火)21:26
3996. 孤独に関する雑感など
——孤独は孤独であるがゆえに尊いのではなく、運命によってそれが与えられた時に尊いのだ——森有正
時刻は午後の五時を迎えた。夕日がとても眩しく、書斎の窓のカーテンを幾分閉めている。
今日の午前中は天気が不安定であったが、昼食前からはすっかり空が晴れ渡り、今に至るまで天気が良い。明日からの天気にも期待がかかる。
明日からは気温が少し上がるようであり、天気も良いとのことであるから、冬の間に眠っていた生物たちが目覚めに向けて一歩踏み出しそうな予感がある。
今日中に便利屋が自宅に来て電球の取り替えを行ってくれるはずだったのだが、この時間になってもまだ来ない。午後の三時あたりに不動産屋に連絡したところ、何やら緊急の修理が入ったようであるが、今日中にはやって来てくれるとのことであったので、もう少し待ってみようと思う。
期待として夕方までに来てもらい、そこから散歩に出かけようと思っていたのだが、この様子だと今日は散歩に出かけることは難しいかもしれない。
今日は午後に、森有正先生の日記を読みながら、孤独について少しばかり考えを巡らせていた。以前の日記で書き留めたように、欧州での生活を始めて以降、孤独の種類と意味の変遷が自分の中で起こり、発達する孤独と向き合うような自分がいたことは確かである。
今この瞬間の私は、強い孤独感を抱えていない。それはフローニンゲンでの生活が安定的なものになったためかもしれない。
孤独にも発達プロセスがあり、それは安定期と不安定期を行き来しながら次第により本質的な孤独が姿を見せ始める。現在それほど孤独を感じていないのであるから、それを求めるのは愚かであり、森先生が指摘するように、求めて手に入るような孤独は偽物なのだろう。
運命によって与えられる孤独こそが本質的なものであり、それこそが私たちを真に深めてくれる。そのようなことを考えていた。
現在使っているMacBook Airを購入してから、早いもので六年が経った。この間において、何も不具合はなかったのだが、パソコンの容量が一杯になってきており、定期的に整理をしていてもそろそろ限界のように感じ始めている。
また、購入から六年も経っているため、最新のMacBook Airの性能はより良いものになっているのではないかと思う。ちょうどこの夏からオランダで事業を始めることに際して、この秋に日本に一時帰国した際に新しいパソコンを購入しても良いかもしれない。この件については、もう少し考えてみようと思う。
この秋に日本に一時帰国する際には、東京の神保町の古書店を巡り、オランダではサイズの都合上衣服を一切購入できないので、銀座かどこかで衣服を購入したいと思う。
また、岐阜に足を運んで、二、三日滞在し、二つの美術館を訪れることも計画している。神保町の古書店に足を運んだ際には、店主の方に、冗談交じりだが少しばかり真剣に、「この店に置かれている書籍を全部購入したらおいくらになりますか?」と尋ねてみたい。
書店に置かれている書籍を全て購入したらどれくらいの金額になるのか純粋に関心がある。日本の古書店でそうした質問をする前に、まずは冗談が通じそうな、フローニンゲンの街の古書店の店主であるテオさんに聞いてみるのが良いだろう。フローニンゲン:2019/3/18(月)17:28
3997. 本日の食事と断食について
時刻は七時半を過ぎた。ここ連日と同様に、今日も一日一食の食生活を送った。
一日に一回しか食事をしないことはもう完全に習慣になったように思う。それをもたらしているのは、この食生活がもたらす心身の調子の良さである。
とりわけ、精神的な心地の良さと共に、集中力の持続などがもたらされていることが実感できるため、もはや一日に三食も食べていたことが信じられないぐらいだ。
一日に一回しか食事をしない分、何を食べるのかを吟味するようになり、三回食べていた時に比べて、格段にバランスの良い食事をするようになった。端的には、摂取する野菜の量が増え、豆腐など、これまでのオランダ生活では食べなかったものまで口にするようになった。
スーパーでオーガニック野菜を選ぶことは一つの楽しみにとなっており、その時に自分の身体が何を欲しているのかに忠実になることによって野菜を選べば、それが美味しく感じられるのは無理もないことなのかもしれない。
行きつけのスーパーからオーガニックのアボカドが消えてしまったことは残念であるが、今日はオーガニックのブロッコリー、カリフラワー、パプリカ、人参、ガーリック、オリーブの実を用いてパスタを作り、それに合わせてサツマイモを茹でたものとナッツ類を食べ、食後にはブルーベリーとグレープフルーツを食べた。
不思議なことに、一日一食にすると胃が小さくなると聞いたのだが、これまでの私が上記の食べ物を食べたら、間違いなく腹が88~93%ほどに膨れ上がっていたように思う。だが不思議なことに、食後の感覚だと、76~78%ぐらいの感覚であり、適量であったように思う。
明日からもまた、体の声に耳を傾け、体が欲するものは何かを把握して、それをきちんと摂っていくようにする。
早朝の日記で述べたように、コーヒーを飲むのは本日で最後であり、明日からはコーヒーを飲むことはしない。よくよく考えてみれば、コーヒー豆は温かい土地で採れるため、それは温かい土地に住む人間が体を冷ますためにその豆から作ったコーヒーを飲むという習慣が生まれたはずである。
コーヒーはホットで飲んだとしたも、体を冷ます働きがあることを私はすっかり忘れていた。「身土不二」の食生活を心がけようとしている私にとって、オランダという冷寒な土地でコーヒーを飲むというのはおかしなことであったとようやく気付かされた。
オランダでの四年目の生活が始まろうとしているが、この地に残ることになったのは、おそらく食の大切さを気づかせてくれ、食生活を根本から見直すためだったのと思う。欧州の土地にやってきた大きな意義として、作曲を始めたことと食生活を根本から見直すことであったというのはにわかに信じられず、今でも不思議に思う。だが、こうした予想できぬことが起こるのが人間の人生なのだ。
一日一食の生活に慣れてくると、腹が鳴る瞬間を楽しむことができ、そしてそれが一切苦痛ではなくなるから不思議だ。ここ数日間の日記で書き留めている通り、腹が鳴る回数が増すごとに、身体にとって良い作用をもたらす物質が分泌されることを考えてみると、腹が鳴ることによってなんとも言えない幸福感が生まれるから不思議だ。それがおそらく、昨夜私がふと思った、「空腹(kufuku)=幸福(kofuku)」という図式なのだろう。
現在冷蔵庫などに保存している食べ物がなくなったら、水だけで行う本格的な断食を数日間行ってみようと思う。今朝イギリスの書店に注文した、断食に関する三冊の書籍を読んでから本格的な断食を行おうと思ったが、どうやら身体がそれを行うことを欲しているようなので、無理のない範囲で近々それを行いたい。
今の私の感覚では、何も食べない日を三日間続けることはかなり楽そうであり、四日ぐらいがちょうど良いように思う。一度本格的な断食をすることによって、この30年強の人生で体内に溜め込んでしまった毒素を少しでも排出することができればと思う。フローニンゲン:2019/3/18(月)20:00