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3876. 大伽藍の建設に向けて


自分が毎日短い日記を書き、短い曲を作っているのは、その日一日を大切にしたいという思いと、その日の今という瞬間に掴まれる感覚を大切にしたいからなのだろう。

欧州での生活を経て、遅まきながら、ようやく自分の特性というものが明確に自覚されるようになった。私は、長大な時間をかけて一つの創造物を生み出すというよりも、日々小さく一つ一つの完結した創造物を生み出し、その実践を長きにわたって続けていくことによって、結果としてそれらの創造物を巨大な建造物に仕立てていくことの方が向いているのだと思わされる。

とにかく小さな創造物を生み出し続けていくこと。それを積み重ねていくことによって、いつか言葉と音の大伽藍が出来上がっていることに、自分の死後気づければ幸いである。

その大伽藍には、自分の実存性と主観性が滲み出ているようにしたい。そして、創造行為を通じて、それら実存性と主観性が普遍的な性質を帯びているようになればと思う。これから行う作曲実践も、今日の学習も、そこに向けた貴重な一歩になるだろう。

時刻は午前八時を過ぎ、辺りはすっかり明るくなった。今、朝日が美しく地上に降り注いでいる。空には、まだ半月の姿が見える。

今日もまた天気がとても良いようなので、午後からは散歩に出かけたい。今日はいつもより歩く距離を伸ばしてもいいかもしれない。そんなことを思わせてくれる朝だ。

他者の活動に対して過剰に批判する人をよく見かけるが、彼らのそうした反応もまた、自我の自己防衛反応の一種なのだろう。他者の活動が何らかの領域で卓越しているように見えると、自分が貶められているように感じるのだろう。

仮にそうした人たちから批判を受けたとしても、彼らの反応を気に留めないことが重要だろう。発達に必要な健全な自己批判は、自らなせばいいのである。

他者の反応や批判に右往左往するのではなく、パスカルが述べたように、「自発的な全き自己放棄」の精神で生きることが肝要だ。健全な自己批判を絶えず行いながら、それすらにも囚われない境地で生きていくこと。

自己を明け渡すためには、まずは自我の狡猾な特性に気づき、それらに囚われないようにしていくことが最初のステップになるだろう。そこからは、自我の防衛反応を緩めていき、自我がくつろぎ、溶解していくように手はずを整えていく必要がる。

今日はこれから作曲実践を行い、その後、協働プロジェクトに関する分析作業に取り掛かりたいと思う。来週は協働関係のミーティングは一件ほどしかない。

来週の木曜日からパリに旅行に出かけていくこともあり、そのように調整をしたのだが、それにしても来週はゆとりがある。そのミーティングに向けて、今日と明日を使って、分析作業を完了させたいと思う。

この分析作業に午前と午後に分けて従事していきたい。それと並行して、作曲実践と少々の読書を行っていく。フローニンゲン:2019/2/24(日)08:13

No.1716: Dulcet Late Winter

The sweetness of late winter exudes and presages spring. Groningen, 18:18, Monday, 2/25/2019

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