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3847. 創造行為と救済


時刻は午後八時を迎えた。平穏な日曜日が終わりに近づき、新たな週に向けた準備を始めている。

今日もまた、一日を通して本当に天気に恵まれていた。来週は木曜日だけ小雨が降る予報が出ているが、その他の日は雨が降らないようであり、気温も高い。

おそらくもう一度気温が低くなる時期があるかと思うが、それはないに越したことはない。

今日も落ち着いた心で文章を綴り、曲を作るような一日であった。これから本日最後の作曲実践を行う。その際には、モーツァルトの変奏曲に範を求め、とりわけメロディーに意識を当てて曲を作る。

今日は一日を通じて、辻邦生先生の『春の風駆けて』を読み進めていた。その中で、「書くことは人間存在を守ることである」という趣旨の言葉を見つけた。

文章を通じて、歪な現代社会の有り様を指摘することや、現代人の認識が歪められていることを指摘することは、人間を救う一助になりはしないだろうか。そのようなことを考えながら毎日文章を綴る日が続く。

真に人間存在を毀損している状態というのは、自らの生活状態が貶められているということに気づくことができない状態を指すのだろう。まさにキルケゴールが指摘していたように、ほとんどの人は、自分を取り巻く生存状況と実存状況に盲目なのだ。

現代においては、それらを見る目が社会によって歪められていると言っていいだろう。歪められた目を正し、自己を取り巻く生存状況と実存状況を掴み直すこと。それは自分にも必要なことであり、文章を執筆することを通じてそれを実現させようとする試みに日々従事しているように思えてくる。

書くことが人間存在を守り、この歪な現代社会から救うことにつながるのであれば、私はこれからも文章を書き続けるだろう。だが、もう少しそれらの点については考える必要がある。

あくまでも、それらは文章を書くことの中に内包された可能性であって、それが実現される度合いについては未だ不明確だからだ。

今日は一日中、ベートーヴェンのピアノ曲を聴いていた。昨夜、久しぶりにベートーヴェンのピアノソナタの楽譜を取り出し、それを眺めていたことが影響をしていたのだろう。

今日もまた、静かな幸福感と充実感が滲み出してくるのを感じていた。日々感じているこの素朴な幸福感と充実感をもとに、創造物を生み出し続けることによって、それらが滲み出す園を作ることは可能だろうか。

ふと午前中に、偉大な芸術家は、己の創造行為を通じて、人間救済の園を作ってくれているのではないかと思った。科学や哲学とは違う救済の形が、芸術の中にある。最近そのようなことを強く思う。

日々、自分でも創造活動に従事することによって、その思いは強くなっていく。幸福感と充実感が滲み出す園を作リ、それを共有していく。そして、その園を絶え間ない創造行為を通じて一生涯をかけて育んでいこうという気持ちを新たに持つ。

明日から始まる新たな週においても、そうした園を作ることに向けた実戦と学習を行っていく。そして何より、自ら小さく育んでいく園の中で生き続けることが重要だろう。フローニンゲン:2019/2/17(日)20:26

過去の曲の音源の保存先はこちらより(Youtube)

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