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3759. この世界に真にあること:美的感覚の涵養


時刻は午後の七時半を過ぎた。気がつけば、今日から二月に入っていた。意識するまでそのことに気づかないでいた。

二月は一年で最も短い月であり、この月が過ぎれば、少しずつ春らしさを感じることができるようになってくるだろう。

この時間帯になると、辺りはさらに静かになり、週末に向けての雰囲気をより一層強めている。

本日過去の日記の編集が随分進んだことにより、明日の午前中にもう少しばかり編集を行えば、全ての未編集日記の編集が完了したことになる。それによって、明日の午後以降は、再び作曲理論や音楽理論の学習をする時間が増えるだろう。それがとても楽しみだ。

今日は午前中に雪が降ったため、辺りは夕方まで白銀世界の様子が続いていた。今はどうやら大部分の雪が溶けているが、明日もどうやらどこかのタイミングで雪が降るらしい。春を迎えるまでは、まだ雪が降る日が続くだろう。

今日もフローニンゲンで生きた日があったということに自覚的でいること。何かそれが、とても大切なことのように思える。

人は毎日生きていることを当たり前に思うかもしれないが、それにあえて自覚的になり、生きることそのものを毎日捉え直していくことが大切なように思える。それをすることによって、私たちの日々は一段充実したものになっていくのではないだろうか。

ユングもまた、この世界に真にあるというのは、この世界にあることに対して自覚的である必要がある、ということを述べていた。そうなのだ。この世界に私たちが真にあるためには、この世界にあることに対して自覚的になっておく必要があるのだ。

決して、他者や社会によって仕掛けられた夢を無自覚に見ていてはならない。そうした夢を見続けている限りは、この世界にあることに対して自覚的になることはできないだろう。

とにかく目覚めておくこと。もしまだ目覚めていないのであれば、とにかく目覚めていくこと。そうしていかなければ、私たちは真にこの世界にあることはできない。

今日はこれからメールに返信をし、一日を締め括る作曲実践を行いたい。その際には、モーツァルトの変奏曲に範を求める。

今回は何か応用的な技術を試すわけではなく、自分が美しいと思えるメロディーをできるだけ生み出すように意識する。美的感覚というのも人それぞれであることは以前の日記で書いた通りであり、自分の美的感覚は自分で養っていく。

そのためには、自分が何に美を感じているのかをとにかく明らかにしていく。作曲においては、自分が美しいと思う曲の様々な特徴に意識を向けていく。

また、作曲実践においては、自分が美しいと思える音をできるだけ生み出していくようにする。そうしたことを続けていけば、自分の美的感覚が徐々に磨かれていくだろう。

美を司る感覚もまた、他の感覚と同様に発達していくものであり、美を司る知性領域があることを忘れてはならない。そして、それらは日々の学習と実践によって徐々に育まれていくものであることも忘れてはなるまい。フローニンゲン:2019/2/1(金)19:51

No.1635: A Winter Whistle

It seems to me that I can hear a winter whistle from the surrounding environment. Groningen, 17:14, Saturday, 2/2/2019

過去の曲の音源の保存先はこちらより(Youtube)

過去の曲の楽譜と音源の保存先はこちらより(MuseScore)

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