top of page

3727. 発達的ペースメーカーとしての最適レベル


早朝に、いつもと同じように作曲実践をしていると、不思議な感覚になった。ある一つの音符を置き、音を鳴らしてみた瞬間に、そこに一つの音楽空間が立ち上がってくるかのような現象を知覚したのである。

実は、昨夜の作曲実践の際にも不思議な体験をしていた。それは、自分が作曲ソフトの楽譜上に置いた音符を鳴らしてみた時に、それが青白く光っているように思えたのである。

昨日は五曲ほど曲を作っていたため、何かの閾値を超えたのかもしれないし、最後の作曲は一日の終わりに行っていたから、何かしらの疲労があったのかもしれないと思った。しかし、その時には一切疲労感はなく、一瞬青白く光った音符を捉えた体験がより不思議に思えた。

今朝方に体験していたのは、色を知覚するものではなく、置いた音符によって、音楽宇宙が確かに創造されていくことを知覚したのである。それは本当に小さな宇宙なのだが、間違い無く、新たな宇宙空間としてそこに立ち現れていた。

今日も様々な作曲家に範を求めて作曲実践を行っていこうと思う。何度も述べているように、彼らの楽譜を眺めることは、自分にとってスキャフォールディング効果として働き、作曲という能力領域における自分の最適レベルを引き出してくれる。

そして、最適レベルは機能レベルに先行する形で発達していくことを思い出すと、常日頃の実践は、やはり過去の作曲家の楽譜に力を借りて、自分の最適レベルを発揮していくように心がけていこうと改めて思った。

昨今、成人発達理論を活用した人財育成が普及し始めている。しかし、そこで行われていることを見聞きしていると、そこには急激に発達を促そうとする傾向が強く存在している。

しかも問題は、大した支援体制のないままに、無理にその人の機能レベルを引き上げようとする傾向が見られることだ。機能レベルの発達というのは、実証研究が示しているように、本当に長大な時間を要する事柄である。

最近私は、「発達することは果たして必要なのだろうか?」という問いをよく投げかける。その問いに対する答えは、確かにYesだと思うが、発達をする前提条件やその必要性をほとんど考慮に入れることなく、発達を急かそうとする風潮に待ったをかける意味で、そのような問いを投げかけるようにしている。

人々は発達に関して、あまりに前のめりすぎる。企業社会の人財育成に関わっていて思うのは、機能レベルの発達は必要なのだが、それそのものに働きかけようとしてもほとんどうまくいかないのではないかということである。

機能レベルというのは、そもそも自分一人で発揮出来る力のことを指し、それを涵養するのも基本的には独力である。あるいは、それは自分の内側から徐々に涵養されていくものだと言えるかもしれない。

上述の通り、機能レベルの発達には長大な時間を要するということ、そしてそれは、最適レベルの後を追っていく形で発達していくことを考えると、その人がいかに最適レベルを発揮できるかの仕組み・環境作りに力を入れていった方がいいのではないかとよく思う。そのようなことをぼんやりと考えていた。フローニンゲン:2019/1/24(木)09:07

No.1608: A Shooting Star on a Winter Night

It stopped snowing, but it started to rain. Groningen, 17:43, Friday, 1/25/2019

過去の曲の音源の保存先はこちらより(Youtube)

過去の曲の楽譜と音源の保存先はこちらより(MuseScore)

bottom of page