昨日に引き続き、今朝も五時過ぎに起床した。早朝に少しばかり調べ物をする必要があり、早朝の日記を書き留めておくのが遅れたため、今から少しばかり日記を書いておきたい。
まずは今朝方の夢について振り返ると、同じ主題の夢を二つほど見ていた。それらは登場人物と主題が同じなのだが、夢の場面が異なっていた。
最初の夢の中で私は、昨年までお世話になっていた論文アドバイザーのミヒャエル・ツショル教授のコースを受講していた。それは大学院レベルのコースであり、私は一人の日本人の友人と一緒に、課題論文を執筆し、それをツショル教授に提出した。
ちょうどその日のクラスでは、協働執筆した論文の評価を得た。私たちの論文に付された評価をみると、5段階評価のうちの3であり、思っていたよりも低かった。
正直なところ、期末に提出する論文に関してこのような低い評価を得たことがなく、なぜ自分たちの論文がこのような低い評価なのかを知りたいと思った。不思議なことに、教室には、オーストリア人のツショル教授以外は、生徒は皆日本人だった。
私がクラスのみんなに呼びかけると、ほとんどのグループは3の評価をもらっているようであり、一組だけ5の評価を得ているようだった。そのグループの二人は、小中高時代の幼馴染みの男女であり、彼らの論文を読ませてもらうことにした。
最初、男性の友人は、私が論文の粗探しをするのではないかと警戒していたが、そうではない旨を伝え、論文を読ませてもらえることになった。
論文を開いた瞬間に気づいたが、それはそれほど質の高いものではなかった。単に分量が多いだけであり、500ページほどの論文だった。まるでそれは、博士論文のような分量であり、これだけたくさんの文章を執筆したことは評価できるが、その内容はお世辞にも良いものだとは言えなかった。
一方、私たちの論文は40ページほどであり、それでも期末に提出するものとしては十分であった。論文の質に関しては、まちがいなく、私たちが執筆したものの方が高く、これが私の思い込みなのかを検証するために、二つの論文の執筆者の名前を伏せて、教室にいたその他の友人六名ぐらいに読んでもらうことにした。
六名に論文を渡すと、彼らは論文を裏返し、白紙のページに簡単な方程式を書き始めた。私はそれを見たとき、彼らは一体何をしているんだと思い、論文の読み方を若干教えた。
六人は私の指示に従って論文を読み始めたのだが、それが英語で書かれているためか、内容を理解することは難しいようだった。私が期待していたのは、内容の細かな理解ではなく、両者の論文の質であり、正直なところ、それは論文を開いたらすぐにわかるはずだと私は思っていた。
私はしびれを切らして、「3秒で評価しろ!」と声を荒げた。すると、友人たちはハッとしたような表情で論文を懸命に読み始めた。
結局、彼らから二つの論文の評価について聞くのを待たずに、私は職員室に向かった。ここは大学院のはずなのだが、どうも建物は高校時代の校舎のようであり、そこの職員室にツショル教授がいる。
職員室の中でも、ツショル教授を除いて、後のすべては日本人の教師だった。私は冷静になって、ツショル教授から論文の評価方法について尋ねた。
話を聞いていると、ツショル教授は、論文を評価する明確な観点を持っていないことが判明し、どうやら自分に理解できる内容のものに高い評価を与えているようだった。厳密に言えば、自分が好む理論や、望ましい研究結果を提示しているものに高い評価を与えているようだった。
それに気づいた時、職員室にいる他の教師全員に聞こえる形で、この学校の教師の無能さを激しく指摘した。そこで夢の場面が変わった。フローニンゲン:2019/1/24(木)07:05
No.1606: A Whistle of a Winter Little Bird
A little bird came to the window of my apartment.
The bird looked as if it enjoyed whistling in the early morning.
Considering the severely low temperature, I’m impressed by the bird’s life energy. Groningen, 21:13, Thursday, 1/24/2019