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3720. 夢の追記:日本語空間と英語空間


時刻は午前六時半に近づいている。外は本当に寒そうだ。今、一日分のコーヒーを入れ始めた。

昨日、無事に、監訳中の書籍の原稿を編集者の方に送った。翻訳のレビューと、自分が執筆を担当した箇所の文章の二つを送った。

当初の予定では、本書は今年の六月に出版されるとのことであるが、ここからの作業次第ではもう少し出版時期が早まるかもしれないと期待している。もちろん、これは私の単なる期待であり、実際にどうなるかはわからない。

この先に私が行うことは、ゲラを二回確認するだけとなった。今のところ、二度のゲラの確認は、4月と5月に行う予定となっている。その頃になれば、この寒さも少し和らぎ、春を感じられていることを期待する。

先ほどまで、今朝方の夢について書き留めていたが、最後にもう少し別の夢を見ていたことを思い出した。私は、日本で実際に通っていた大学にいて、その校門の前で、何人かの学生と話をしていた。

一人は、名古屋の大学で工学系の学士号を取得した女性であり、彼女は工学から分野を変えて、社会学を学びにうちの大学に来たようだった。彼女が所属するゼミナールのメンバーは、皆一様に身長が171cmとのことであった。

それを示すかのように、彼女はゼミナールのメンバーの集合写真を見せてくれた。すると、確かに男女共に同じような背の高さであった。

だが、列の一番前に、ひときわ小さい男性が笑顔でポーズを取っている姿が見えた。彼女に聞くと、その男性だけは例外であり、155cmほどの身長だそうだ。

そのような話をしていると、今まさに話題に上がっていた彼が校門にやってきた。そこで夢が終わった。

今朝方は、そのような夢も見ていた。いずれの夢もやはり興味深い内容であり、頭で解釈しようとしても、どうにもわからないことがある。

今朝方の夢に限って言えば、自分の中の強いシャドー、例えば、攻撃性を担うシャドーは現れていなかったように思う。どの夢も、とても穏やかな質感を持っていた。

印象に残っているのは、一つ前の夢において、私が日本語に飢えているかのような様子が見て取れたことだ。

昨日、かかりつけの美容師のメルヴィンの店に行き、そこで彼と話をしている時、普段どの言語で思考をしているかについて話題となった。その前に、普段どの言語で書かれた書籍を読んでいるかが話題となっていたことを思い出す。

メルヴィンは、18歳以降、英語の書籍を読むことがめっぽう増えたそうだ。特に、著者が英語で文章を書いたのであれば、オランダ語に翻訳されたものをできるだけ読まないようにしていたそうだ。なぜなら、書籍は著者の実存性が不可避に滲み出すものであり、著者本人の実存性を感じながら書籍を読むことからは、計り知れないものが得られるからだ。

私もメルヴィンの考えに同意しており、自分の探究領域の都合上、ほぼ必然的に英語の文章を読むことが多い。人間発達にせよ、教育哲学にせよ、音楽にせよ、基本的に手持ちの書籍のほぼ全ては英語である。

人間発達と教育哲学に関しては、一冊も和書がない。普段の思考においても、それらの領域の場合は、やはり英語でものを考えていることが多いことに気づく。

これはもちろん、欧米生活を始めた最初の年に、普段の思考においてできるだけ日本語を使わないようにするということを実践してきたことが影響しているだろう。今このように執筆している日記では、とことん日本語を使うようにしているが、確かに、それ以外の時間においては英語空間の中にいるような感覚が絶えずある。

そうしたことが、今朝方の夢に何かしらの影響を与えていたのではないかとふと思った。フローニンゲン:2019/1/23(水)06:19

No.1602: Tomorrow for Us

Is my tomorrow the same as others’?

How similar and distinct is our tomorrow?Groningen, 21:08, Wednesday, 1/23/2019

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