幸福は水の如し。幸福は呼吸の如し。入浴前にそのようなことを思った。
日々の生活を改めて振り返ってみると、毎日、強烈な幸福感というよりも、絶えずなんとなく幸福な感じが続いていると言える。この「なんとなく」というところが妙に重要であるような気がしている。
確かに、私は時折、はち切れんばかりの幸福感を突如感じることがあるのだが、それは毎日のことではない。だが、毎日感じているのは、水のような幸福、ないしは呼吸のような幸福である。
空気のような幸福というよりも、空気を体内に取り込む呼吸という行為が持つ特性と幸福感が相まっているような感覚が、日々の自分を取り巻いている。
幸福感について考えを巡らせていると、少し前に、フローニンゲン大学の経済地理学の研究者が、生活場所と幸福の関係について調査した結果について思い出した。それはかなりマクロな調査であり、国を単位としてなされていた。
ヨーロッパ諸国においては、北欧の幸福度が高いと思っていたのだが、その調査結果では、ノルウェーやフィンランドよりも、オランダ、アイスランド、デンマークの人たちの方が日々を幸福に生きていると感じている割合が高かった。
昨夜も就寝中に、オランダという進歩的な国での暮らしの在り方について少しばかり考えていた。その調査を行った教授は、個人の幸福は、その人を取り巻く人々の幸福感と密接に関係しているということも指摘していた。
オランダで生活する中で、私が幸福感を日々感じているのは、自分の生活の送り方だけではなく、周りの人たちも幸福だと感じているからなのかもしれない。もちろん、オランダにおいても経済水準が低い人たちはいるだろうが、この国の福祉政策によってか、確かに、街中に不幸そうな顔をして歩いている人をほとんど見かけない。
私自身が常に幸福感の膜を帯びているからそのように見えるだけかもしれないが、この三年間において、街中で不幸そうなオーラを身にまとった人を見かけたことはないように思う。
今のところの予定では、この夏からは一旦オランダを離れ、再び米国で生活を送るか、スイスで生活を始めようと考えている。しかし、米国かスイスを経由した後には、再びオランダに戻ってこようと考えており、それはやはり、この国を取り巻くなんとも言えない幸福感なのかもしれない。
それは決して華美な幸福感でも強烈な幸福感でもなく、極めて質素な幸福感なのだが、これこそが幸福感の核なのかもしれない。それこそが、生活に真に根ざした幸福感だと呼んでいいのではないかと思う。
私がオランダに居心地の良さを感じているのは、こうした生活に深く根ざした幸福感があるからなのだろう。それはとても静かであり、この国の芯から滲み出してくるような幸福感である。
オランダにも政治経済的な問題は確かにあるが、人々の生活の根底に幸福感があるというのは、とても重要なことのように思う。フローニンゲン:2019/1/18(金)19:59