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3676. 原画が持つ迫真性に関する夢


窓の外に広がる静かな闇の世界を眺めながら、今日のこれからの活動について少し考えていた。考えるまでもなく、今日もいつもと変わらない活動に従事していくのだが、具体的に何に取り組むのかを改めて考えていた。

今日は午前中に、協働者の方とのオンラインミーティングがあるため、その前に早朝の作曲実践を終えておきたいと思う。ミーティング後から昼食まではまだ時間があるであろうから、その時間に過去の日記の編集を行っていく。

過去の日記の編集に関しては、毎日20本ほどコンスタントに編集が進んでおり、とてもいい流れができている。この調子で編集を進めていけば、およそ90日後には、未編集の日記が全て無くなるだろう。

未編集の日記が無くなってからは、20本の日記を書き終えた都度、編集をしていくのが良いだろう。

今日も昨日に引き続き、12音技法に関する書籍を読み進めていく。ちょうど昨夜、“Serialism: Cambridge Introductions to Music (2008)”の初読を終えた。

一読目で全てを理解するのはどの書籍に対しても難しいが、今回の初読から12音技法に関する観点を随分と多く得られたと思う。それらのうち、直接的に作曲には役に立たないものもあるが、そうだとしても、そうした知識の一つ一つが、間接的には作曲技術をより深いものにしてくれると思う。

今日からは、12音技法に関するもう一冊の書籍、“Serial Music, Serial Aesthetics: Compositional Theory in Post-War Europe (2008)”の続きを読み進めていきたい。こちらもすでに数章ほど読んでおり、すでにいくつか重要な気づきをもたらしてくれている。

本書に掲載されている具体例を頼りに、12音技法を活用した作曲を今日も実践したいと思う。上記の書籍を読むことに加えて、今日も辻邦生先生の日記を読み、ゴッホの手紙を読み進めていきたい。

学術書とそうではない書籍を読むことが、とても良いバランスで行われているように思う。いずれにせよ、それらは共に自己を深めてくれるものであることに変わりはない。

早朝の作曲実践に取り掛かろうとしたところ、ふと今朝方の夢の続きについて思い出した。実際に通っていた中学校の靴箱にいた時に、そういえば、二人の友人とそこで出会ったことを思い出したのである。

二人の友人は、絵画を購入したいと私に述べ、絵画の選び方を私に教えて欲しいと言う。それを教えられるほど絵画に対して造詣は深くないのだが、絵画について話をしようと思ったら、私たち三人は画廊にいた。

そこで一人の友人が、作者不明の作品のレプリカを二つ持ってきた。それらのうち、どちらかを購入しようと思っているようだ。

すると、もう一人の友人も一つの絵画作品を持ってきて、「この作品からほとばしるエネルギーがいいと思うんだ」と述べた。見ると、彼が手に持っていたのは、作者不明の作品の原画であった。

私は二人の眼の前で、「やっぱり原画は違うよ」と述べた。それを述べるまでもなく、私たち三人は、一人の友人が手に持っている原画が生み出すエネルギーと迫真性を肌で感じていた。フローニンゲン:2019/1/14(月)07:30

No.1572: To a Lively Morning Market

I have a refreshing feeling when I go to a lively morning market. Groningen, 08:48, Tuesday, 1/15/2019

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