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3666. 時と成熟


時刻は午後の七時半を迎えた。つい先ほど夕食を摂り終えた。

今日は一日を通して曇りがちであり、時に小雨がぱらつくことがあったが、ほんの少しの間だけ、太陽の光を拝むことのできる瞬間があった。

今の時間帯はすでに闇が辺りを包んでおり、空には雲が多いが、時に月の面影を垣間見ることができる。ぼんやりとした三日月が、雲の隙間から顔を覗かせたり、引っ込んだりを繰り返している。

時をただ自らの成熟によって刻む。時をただ自らの成熟によって計測していく。夕方にそのようなことを思った。

今日という一日が、また自らの成熟に向けた一歩によって刻まれていった。

今日という時を知るのは、自らの成熟だけなのだ。別の表現で言えば、これまでの自分の歩み、そしてこれらの自分の歩みと共にある時の流れというのは、自らの成熟によってしか明らかにならないものなのだ。

川を流れていく一枚の葉が流れたとわかるのは、その葉が流れたという歩みによってわかる。とても当たり前のことだ。葉が流れたことをもってして時が計測されていくのである。

今日も本当に始まってしまい、今日も本当に終わってしまうのだろう。それが幾分信じられない自分がやはり存在している。

一日が始まること、一日が終わること。それに合わせて、自分が新たに始まり、その自分は終わりに向かっていくこと。この循環過程は、本当に驚愕に値する。

今日は、監訳中の書籍の「はじめに」を書き終えた。また、巻末の解説に関しては、いくつかの節に分けて文章を書くことにし、最初の節に関する文章を書き終えた。これから、その続きを書いていこうと思う。

監訳者として、本書を通じて何を読者に伝えていこうかと色々と考えたが、やはり伝えるべきことはきちんと誠意を持って伝えておこうと思う。解説の最初の節は、自らの主張というよりも、まずは本文の補足として、インテグラル理論の応用事例について文章を書いていった。

これから執筆する箇所は、まさに自分が一番伝えたいことであり、同時に伝えるべき必要のあることだと思う。幾分瞑想的な意識状態にある今夜、少しばかり文章を書き足し、明日再び文章を書き足していきたい。

明日に文章を書き足せば、その段階で筆を置くことができるだろう。あとは数日間文章を寝かせ、後日また文章に追加・修正を施していきたい。フローニンゲン:2019/1/11(金)19:44

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