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3642. 二種類の愛


時刻は午後三時に近づきつつある。午前中は天気が悪く、昼食前に買い物に出かけた際にも霧雨が降っていたのだが、今はそれも止み、幾分太陽の姿が見える。実際に先ほどは、太陽が書斎の中に照りつけていた。

こうした生活環境の中にいると、幾分視点取得能力が高まるようである。例えば、この土地の地面に咲く花々や雑草の気持ちがよく分かる。

彼らが、太陽の方向に向かって手を差し伸べるかのように必死に生きている姿は心を打つ。太陽の方向に手を差し伸べる愛がそこにあり、太陽はそれに応えるかのように、地上に光を降り注げるという愛がそこにある。

まさにそれらの関係は、エロス(上昇的な愛)とアガペー(下降的な愛)そのものではないかと気づく。二つの愛が、直接的な体験として今ありありと知覚されている。

私は毎日、絶えず何かをしているのだが、それが何につながっているのか、それがどこに向かっているのかが一切わかっていない。日々の探究活動と創造活動、そしてその他の仕事に関しても、それらが何につながり、どこに向かっていくものなのかが一切わからないのである。

だが、もしかしたら私が日々行っていることは、この地上の花々が太陽の方向に手を向けるのと同じものであり、同時に自分が日々行っていることは、太陽が地上に手を差し出すのと同じものなのではないかと思えてくる。自分の日々の活動は、単に充実感と幸福感を持っているのみならず、そうした二種類の愛を抱擁しているものなのかもしれない。

先ほど、いつものように仮眠を取っていると、意識が完全にコーザル意識の状態になり、夢を見ない眠りの世界に落ちていた。私はもう十数年以上、朝の起床時に目覚まし時計を使うことを控えているのだが、毎日の仮眠の際にはタイマーを設置している。

20分の仮眠が終わりに近づいた時、アラームとして鳴るバッハの曲がかかる数秒前にコーザル意識からサトル意識に戻り、不思議な感覚に包まれていた、というのが先ほどの体験である。早朝に目覚める時はいつも、新たな日及び新たな自己が始まったと感じるのだが、それと同じことを仮眠後に感じることがよくある。

今日もまさにそうであった。何かが完全にもう一度まっさらな状態から始まる感覚がそこにあった。

今日は午前中に、ウィルバーの書籍の監訳の仕事を進めていた。注記のレビューは着実に進み、後二章分のレビューが残るだけとなった。

今日はこれからラヴェルの曲を参考にして作曲実践を行い、その後にまた注記のレビューを進めていく。おそらく今日中に全てのレビューが完成するのではないかと思う。

年末年始にかけてレビューを毎日少しずつ進めてきたことが、ようやく実を結ぶ。実際にそれが花となるのは、本書が無事に世に送り出された時になるだろうか。フローニンゲン:2019/1/6(日)15:02

No.1547: A Winter Festival

Although today’s weather is not so fine, my feeling is festive to celebrate a new day. Groningen, 08:52, Monday, 1/7/2019

過去の曲の音源の保存先はこちらより(Youtube)

過去の曲の楽譜と音源の保存先はこちらより(MuseScore)

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