時刻は七時を迎えた。今朝は五時半に一度目を覚ましたが、そこで起床することはなく、六時半に起床した。これからゆっくりと一日の活動を始めていきたい。
今日もまた、現在監訳中のウィルバーの書籍の翻訳をレビューして行こうと思う。本日は全七章のうちの、第五章をレビューする。この章は、インテグラル理論が実際にどのような実務領域でいかように活用されているのかを紹介している章であり、実務家の方たちにとっては一番気になる章だと思う。
昨夜就寝に向かおうとしている時に、今回の監訳書の「はじめに」ないしは巻末の解説として執筆する文章に関してまた一つアイデアが浮かんだ。本書を通じてウィルバーは、発達が一概に善なるものではないことに警鐘を鳴らしている。
確かにウィルバーは、語りの場では時に発達の取り扱いに関して少々雑な発言をしてしまうことがあるが、書籍の中では非常に落ち着きがあり、そして洞察に溢れた形で発達現象を取り扱っている。
私の知る限りでは、発達現象の取り扱いに関して最も洞察に溢れる指摘をしているのは哲学者のザカリー・スタインだと思うが、スタインが指摘するように、発達という現象にあまり熱狂しすぎないように制するような発言が今回の書籍の中にも見られることは喜ばしい。
ただでさえ、大きければ大きいほど良いという思想や量の拡大を盲目的に希求する思想がはびこる現代社会の中で、発達を煽るような発言は控えるべきだろう。発達とは究極的には、「醒めのプロセス」なのだから、発達という現象そのものに対しても醒めた目——「冷めた目」ではなく——を通じて見ることができなければならないだろう。そのようなことを昨夜の就寝前に考えていた。
今日はこれから、いつものように作曲実践をまず行う。早朝の作曲実践は、毎回バッハの四声のコラールを参考にしていたが、昨日二回ほどコラールを参考にしていたので、今朝はモーツァルトの変奏曲に範を求めようと思う。
コラールに関しては、四声あるということもあり、主にハーモニーに対する工夫をする場となっているが、人間が歌うことを目的にしたコラールという都合上、歌えないようなリズムを作ることができないという制約があり、リズムへの工夫が少々難しいことがある。
バッハはそのあたりに関しても見事な工夫をしているのだが、私の場合は、こうしたコラールをピアノ曲として作っているため、もう少しリズムに関しては工夫した方がいいだろう。
これからモーツァルトの曲に範を求めようとしているのは、まさにモーツァルトはリズム感に優れており、決して私が思いつかないようなリズムで曲を作っていることが多いからである。早朝の作曲実践では、モーツァルトのリズムからいろいろと学んでいこうと思う。
昨日の夕方に、十二音技法に関する二冊の書籍“Serialism: Cambridge Introductions to Music (2008)”と“Serial Music, Serial Aesthetics: Compositional Theory in Post-War Europe (2008)”をアマゾンを経由してイギリスの書店に注文した。
どちらもケンブリッジ大学出版から出版されていることもあり、かなり高度な内容だと思うが、目次を見る限りでは非常に興味深い内容となっており、二冊の書籍の到着が今から楽しみだ。フローニンゲン:2019/1/3(木)07:28
No.1538: Destructive Agony of Heroes
In this modern world, all heroes become destructive, and still, they have agony.
The darkness of night tells me so. Groningen, 21:07, Thursday, 1/3/2019