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3564. エリオット・アイスナーの書籍より


早朝より雨が降り始め、今もそれがひっきりなしに降り続けている。どことなく冷たい雨が地上に降り注いでいる。

空を見ると、そこには鬱蒼とした雲があり、冬の寒さはこれからより一層厳しくなっていくことを予感させる。

ここ数日間ずっとスクリャービンのピアノ曲全集を聴いている。その中にはピアノ協奏曲も収められており、いくつかのピアノ協奏曲が極めて美しく、先ほどはしばしそれらに聴き入っていた。

今日は、エリオット・アイスナーの“Reimagining Schools (2005)”の初読を終えた。本書を読みながら、子供たちが芸術教育を通じて何らかの形を生み出していくことに従事することは、後々の世界制作(world-making)につながっていくのではないかと考えさせられた。

一言で述べると、世界制作とは世界への関与のことを指す。世界制作を担うためには、意味構築(meaning-making)の力が不可欠であるが、アイスナーの発想は、芸術教育を通じて子供たちが形を生み出し、そしてそれが意味を生み出す力を育んでいくことにつながると考えているように思える。この点には共感するものがある。

芸術教育は、他の教育領域にはない固有の方法で意味構築の力を育み、それが世界に参画していく力を育んでいくことにつながるのではないか。

教育哲学者のスザンヌ・ランガーが述べているように、記号制作(symbol-making)は意識の形成に不可欠であり、芸術教育を通じてなされることは、他の教育領域にはない固有の記号を生み出すことを支援することでもある。

また、芸術教育は形を生み出すことを促すのみならず、過去の芸術家が残してきた数々の形(記号)から固有の意味を汲み取る力も育んでいく。

本書にはいくつもの洞察溢れる指摘がなされており、それらの文章の横に色々と書き込みをしていた。上述のランガーの指摘と絡めてアイスナーの考えを参考にすると、芸術活動は構造構築(structure-making)の側面を不可避に内包しており、意識の発達は構造的な変容であることを考慮に入れれば、人間発達と芸術教育の接点が見えてくる。

また何よりも、芸術作品を鑑賞することや、自ら表現活動に従事することを通じて、この世界が美的経験に溢れたものであることを学ぶことに芸術教育の大きな意義がある、というアイスナーの考え方には大変感銘を受けた。

人間発達という観点に基づいて、芸術教育の意義と価値が少しずつ明らかになっていく。フローニンゲン:2018/12/22(土)16:06

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