昨夜から今朝にかけて色々と思うことがあった。結局、自分はこの人生を通じて、この世界にいかに関与していくことができるのだろうか、という問いに関するものだった。
そうした問いに向かわせた具体的な事柄についてはここでは書かない。だが、ある一件がきっかけになり、自分はいかに日々を生き、いかにこの世界に何かしらの貢献を果たしていくことができるのかについて考えさせられていた。
早朝に、その件に関して少しでも役に立つことができるのであれば、という思いから一つ行動を取った。実際には、同種の問題が二件ほど存在しているようであったから、二つの件に対して同様の行動を先ほど取った。
今、再び書斎の向こうに広がる闇の世界を眺めている。午前八時を過ぎ、ようやく空がダークブルーに変わり始めた。夜が完全に空けるのは後30分ほどだろうか。
今日も私は自分の人生のある一日を生きて行く。これまでは、充実感や幸福感を絶えず感じながら日々を過ごしてきたが、もしかすると、充実感や幸福感すらも超越した状態の中で日々を生きて行く必要があるように感じている。
この世界に真に関与していく際に、どうしても充実感や幸福感だけでは語られぬ感情が存在していることに気づく。それら諸々の感情を含め、新たな感情エネルギーが自分に流れる必要があるように思えてくる。
人の人生には限りがあり、自分ができることにも限りがある。そうした中で、自分はこの人生に何を与えられ、そして何に取り組むことが一つの役割として与えられているのかについて内省を続けていく必要がある。おそらく、その内省に終わりはないのだと思う。
今日も読むこと、書くこと、作ることに従事していく。自分にできるのはそれぐらいしかないのかもしれない。
逆に言えば、それをこの世界への関与の一環として行うようにし、実際にそれが何らかの関与につながるようにしていく必要があるように思えてくる。その道をゆっくりと歩いていこうと思う。
これから行う早朝の作曲実践において、バッハの四声のコラールを参考にする際に、テンションをコードにうまく入れていく実験をしたい。得てしてこれまでの私は、三和音の音に囚われてしまうことが多く、そこにテンションとなる音を付加することにためらいがちであった。
これから行う作曲実践では、ベースのパートに根音を任せ、他の三つのパートにおいて、アボイドとなる音を避けながら、テンションをうまく入れていくようなことを試みたい。今日もとにかく作曲実践を積み重ね、作曲理論に関する学習を行っていく。
自分には本当に読むこと、書くこと、作ることしかない。だが、それしかない人生も、ある一人の人間の尊い生き方なのだと言えるかもしれない。フローニンゲン:2018/12/20(木)08:17
No.1496: A Shrill Voice of a Drizzle
It continues to drizzle.
I have an opportunity to see a person today, which is a rare occasion for me. Groningen, 10:58, Friday, 12/21/2018