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3521. 夢の続き


早朝の静けさを感じながら、ゆっくりと一日の活動を開始させている。探究活動や創造活動に本格的に従事する前に、日記を書き留めておくこと以上に優れた準備はないように思える。

書くことは活動に向けた最良の準備である。いや、それは何かを始めるためにあるだけではなく、何かを終えるためにもあるのだと思う。

物事を始め、それを進め、そしてそれに一旦の区切りをつけるための役割を書くことは果たしてくれる。今日も一日の活動を始める前に日記を書き、活動の最中にも日記を書き留め、一日の終わりにも日記を書くだろう。

今朝方の夢についてつい先ほど振り返っていた。改めて振り返ると、夢の中でさらに深い意識の層に降りていき、そこから夢の意識に戻ってきたことを夢の中の自分が自覚していたことは興味深い。

こうした体験はこれまでなかったように思う。夢の中で眠りかけたことや完全に眠ってしまったことはこれまでにあったかもしれないが、夢の中で寝てそこから再び起きることはこれまで体験したことがないように思える。

感覚として覚えているのは、夢の中で眠りに落ちようとしていた自分は、どこか身体が重たいような感じがあった。一方で、そこから眠りに落ち、再び眠りから覚めると、身体にエネルギーが補填されているように感じたのである。

おそらく、夢見の意識状態から夢を見ない深い意識状態に向かうと、そこでは何かしらの治癒が起こるのだろう。まさにそれを体験するような出来事だった。

アメリカの大学院のオリエンテーションに参加した後も、実はまた別の夢を見ていたことを思い出した。夢の場面は最初の場面と同じであり、小中学校時代を過ごした社宅だった。

またしても、私は自宅のリビングにいた。ソファに座ってくつろいでいると、玄関の方で父と母が何かもめている。

なにやら、今度の旅行に関して意見が食い違っているようだ。最初私はそのように思ったのだが、ソファから二人の話を聞いていると、どうやら自分の自転車が問題のようだった。

旅行に持って行く私の自転車は、子供用の小さなものであり、それに関して何か問題があるようだった。父に話を聞いてみると、「車から自転車の紐がはみ出ることがみっともない」と言う。

私はすぐにその意味が掴めなかったため、より詳しく話を聞くことにした。だが、それはとても些細なことに思え、どうしてそれを元に母ともめていたのかがいまいち私にはわからなかった。

「紐がはみ出ることが嫌なら、紐が出ないようにしたら」とだけ述べたところで夢の場面が変わった。

今朝はそのような夢を見ていた。今思い出してみても、今朝方の最後の夢の場面は謎が残る。

「車から自転車の紐がはみ出ることがみっともない」と父は述べていたが、実はその後に、「周りの車の運転手に小さな子供が車に乗っていると思われたら不都合がある」ということ付け足していたように思う。その言葉の意味も含めて、色々と謎を残す夢であった。

時刻は午前七時を迎えつつある。これから一日の活動を本格的に始めていこうと思う。

まずは早朝の作曲実践を行い、そこから作曲理論の学習に入る。フローニンゲン:2018/12/14(金)06:58

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