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3509. 見送る夢


もう少しだけ日記を書き留めてから本日の活動を行いたいと思う。一点目としては、先ほどの日記で書き留めていたように、言語や音楽が喚起する呪術的な力については今後も関心を持って探究していこうと思う。

どのような言葉や音楽に呪術的な力が宿るのかを探究していく。別の表現で言えば、どのような種類の言葉や音楽に、どのような種類の治癒と変容の作用が生まれるのかを探究していく。

今日はこれから作曲実践を行うが、そうした観点を持っておきたい。つまり、自分が産み出した曲の中に、どのような治癒や変容の作用があるのかを探っていくということである。

今の自分の作曲技術の段階を考えると、自分の曲に治癒や変容を促すものが含まれているかは定かではないが、一つの曲は私たちに何かを喚起させてくれることは間違いなく、喚起されてくるものが何かをまずは分析していく。

そして、それがいかように生み出されたのかについても、できるだけ分析的な視点を持ちたい。そうした地道な分析を続けていくことによって、少しずつ曲が何かを喚起する力が高まっていくのではないかと思う。

そして今後は、喚起させるものを意図的に選択し、それを意図的に生み出すことができるようになってくるかもしれない。そうなれば、確かにシャーマン的だと言えなくもない。

シャーマニズムの儀式で行なわれていることそのものは曲作りとさほど関係ないかもしれないが、シャーマンが喚起する諸々の意識の状態については参考になることがあるだろう。

いや、もしかすると、儀式の方法そのものにも何か曲作りに関するヒントがあるかもしれない。今はあまり認識の制限をかけずに、開かれた認識でそれらを参考にしていこうと思う。

今朝方見ていた夢はシャーマンに関するものだけではなく、他にもまだ夢を見ていたことを思い出す。夢の中で私は、日没後すぐの時刻あたりの時間帯に、ある道路の上にいた。

道路には一台の車が止まっており、車の中を見ると、私の両親と母方の祖母、そして見知らぬ女性が助手席に座っていた。より厳密には、運転手も見知らぬ人であり、車の後部座席に両親と祖母が座っていた。

しかし奇妙なことに、父と祖母は話ができないようであり、母だけが言葉を話すことができた。とはいえ、母も多くをしゃべることができないようであり、私はひとことふたこと、母の言葉を聞いた。

どうやら私は、両親と祖母をどこかに送り出しているようだった。辺りはまだ暗闇に包まれているわけではないが、どこか薄暗い。

いざ車が発進しようとしたところで、私は助手席に座っている人物に話しかけた。そして、一枚の券を差し出した。

それは、東京かどこかの大都市で、一日中買い物が無料で行えるというものだった。飲み食いも含め、ありとあらゆる消費財が無料でもらえるという券を手渡し、目的地に着いたら両親か祖母に渡してほしいと述べた。

すると助手席の女性は、この券はあまり良くない贈り物だと言う。そして、そもそもこの券をどのように入手したのか尋ねてきたので、私は会社名を述べ、その会社からもらったと述べた。

その会社は大手の会計事務所なのだが、その女性はその会社をチョコレート会社だと勘違いしているようだった。私は一応彼女の誤解を解きながらも、結局その券を渡すことはなかった。

助手席の窓が自動で閉められていき、車が静かに発進した。私は車の後ろ姿を少しばかり寂しげな気持ちで眺めていた。フローニンゲン:2018/12/11(火)09:09

過去の曲の音源の保存先はこちらより(Youtube)

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