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3508. 言語と音楽の呪術的側面に対する関心


シャーマンが現れた今朝方の夢について振り返っていると、そういえばこれまで何回か夢の中でシャーマンに遭遇する夢を見ていたことに気づいた。今年に入ってそれは二回目であり、昨年か一昨年にも一度中南米の古代遺跡でシャーマンに遭遇する夢を見ていたことを思い出した。

今から七年前にジョン・エフ・ケネディ大学(JFKU)の統合心理学科に在籍していた時、そこで履修したコースの一つにシャーマニズムに関するものがあり、JFKUのバークレーキャンパスでシャーマニズムの儀式に参加したことがある。

それ以降、シャーマニズムに関する書籍を何冊か読むなどしていたが、それが私を強く捉えたかというと、そうでもない。単純に、人間の意識を探究するにあたって、シャーマニズム的なものを学ぶのは必須であるという認識のもと、最低限それについて知ろうという程度の気持ちで関連文献を読んでいた。

とはいえ、今になっても時折シャーマンが現れる夢を見るというのは、どのような意味を持っているのだろうかと考えざるをえない。正直なところ、今このようにして書いている文章のように、人間の言語にはシャーマニズム的な何かがあり、今聴いている音楽にもまさにシャーマニズム的な何かがある。

言い換えると、言語や音楽には呪術的な作用が内包されているということだ。特に、言語の呪術的な側面については以前から関心があり、ニューヨークに住んでいた時に、通勤時間に井筒俊彦先生の“Language and magic: Studies in the magical function of speech (1956)”を熱心に読んでいたが、本書はまさに言語の呪術的側面を詳述しているものである。

ここ最近は言語のそうした特性のみならず、音楽にも感情を変容させたり、意識そのものを変容させる力が存在していることに気付き始め、それについても関心を寄せている。

もしかすると、現在日々日記を書き留め、曲を作っていることの中に、今後は呪術的な何かを統合していく実践を入れていくかもしれない、ということを思う。文章や曲そのものが治癒的作用と変容的作用を持つようなことになれば、それは意義があるように思えてくる。

今朝方見ていたシャーマンが現れる夢は、自分がそうした方向に向かって歩みを始めようとしていることを示唆しているのかもしれないと思う。

時刻は八時半を過ぎ、辺りはすっかり明るくなった。今日は一日を通して晴れるようだ。

空には雨雲はなく、薄い雲が浮かんでいる程度である。昨日も太陽の光を少々浴びることができたが、今日はよりその時間が多く取れそうだ。

今日はこれから、いつものように早朝の作曲実践を行い、その後、作曲理論の学習を進めていく。昼食後には、協働者の方たちとの勉強会があり、その予習はすでに一昨日の段階で終わらせているので、勉強会の開始前に簡単に今日の講義の大枠を確認しておきたい。

十分な睡眠を取ったこともあり、今日のこれからの活動は気力に満ちたものになるだろう。フローニンゲン:2018/12/11(火)08:44

No.1474: A Little Dance of Stratosphere

It’s 5PM now.

I can see a beautiful sunset reflecting the clearness of stratosphere. Groningen, 16:54, Wednesday, 12/12/2018

過去の曲の音源の保存先はこちらより(Youtube)

過去の曲の楽譜と音源の保存先はこちらより(MuseScore)

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