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3491. 救急車に乗り、公民館で講演する夢


時刻は午前七時を迎えた。確かに今日は一日中雨のようだが、気温は比較的暖かい。

明日明後日も天気が少々崩れるようである。また、来週からは、私が予想していた通り、気温が下がり始めるらしい。これから寒さが本格的に厳しくなっていくだろう。

今朝は午前三時に一度目を覚まし、そこでトイレに行き、水を一杯飲んで再び就寝した。その間に、目覚める前に見ていた夢を振り返っていたのを思い出す。

その夢は、つい先ほど書き留めたものである。夢の中で出てきた数学教師のみならず、小さなことでいちいち声を荒げるような未成熟な精神を持った大人が多すぎることには辟易している。

もしかすると、たいていの親や教師はそうなのかもしれない。そうした親や教師のもとで育つのはつくづく不幸である、と考えていた。

一方で、声を荒げるような親や教師を一気に黙らせるような力を発揮することができれば、その子供には強靭な成長力が備わっていると言えるかもしれない。多くの子供は、コンクリートのような親や教師を突き破ることはできないのだが、ごく少数、それらのコンクリートを突き破る子供たちがいるのは確かだろう。

後者の子供たちに関しては、その後一生涯をかけて自己を深めていく可能性が高いが、問題は前者のような子供たちである。いや、問題が子供たちにあるというよりも、真の問題はコンクリートのような親や教師たちである。

その問題についてぼんやりと考え事をしながら、再び就寝に向かった。再度目を閉じてベッドの上に横になると、脳内に眩い白い光が知覚された。

それはセロトニンが異常に分泌された時に起こる現象なのだろうか。そのようなことを少々考え、こうした強烈な光が知覚されることは時折あるため、気にせずに再び就寝に向かった。

すると、そこからもひとつ別の夢を見ていた。夢の中で私は、ある広い部屋の中にいた。それはオフィスのフロアのようであり、実際に何人もの人がそこで働いていた。

すると突然、そこで働いていた人が突然倒れだし、意識不明の状態に陥った。理由はよくわからないのだが、見ると、なぜだか出血している人もいた。

ここは日本であり、私はどのように救急車を呼んでいいのかよくわからず、とりあえず携帯電話から911を押した。すると、アメリカ人の女性オペレーターが電話越しに現れ、私は事情を説明した。

その瞬間に、オペレーターが日本人男性に変わっており、さらにはその人は救急車の運転手とのことだった。現場の状況を正確に伝えることに関して、私よりも、隣に立っていた医師の男性の方がふさわしいと思ったため、私はその男性に携帯を渡した。

すると、その医師の説明はあまりにたどたどしく、極めて回りくどかった。「その情報は果たして必要か?」というようなものがたくさんあり、少々呆れていたところ、「携帯、切られちゃいました」とその医師は述べた。

どうやら救急車の運転手は、呆れて電話を切ったらしい。しかし幸いにも、すぐに救急車が現場に駆けつけ、原因不明で倒れてしまった人たちを病院に搬送した。

一応私は付き添いとして、救急車の後ろに乗り、病院まで行くことにした。しばらく救急車に乗っていると、ある時、窓の外にどこか見覚えのある空き地が見えた。

ちょうど救急車が信号待ちのため停車したので、私は運転手に告げて、そこで降ろしてもらうことにした。空き地に行ってみると、空き地の横に、公民館のような建物があった。どうやらそこは予備校のようであった。

公民館の入り口から中を覗こうとすると、一人の男性がドアを勢い良く締めた。どうやらその男性は私のことを予備校生だと思ったらしく、この予備校は時間厳守が徹底されており、仮に1秒でも遅れたら、教室に入ることは許可されない仕組みになっているようだった。

その男性は講師というよりも、サポート役のチューターか何かだった。彼はものすごい剣幕で、「もう遅い!」と私に叫んだ。

私は、「いえ、ここの生徒ではないのですが」と述べると、手のひらを返すように、その男性は私に謝ってきた。

チューターの男性:「失礼しました!」

:「いえいえ、ちょっと中が気になったもので。実は医学部に入り直したいと思っており、中を見学させてもらえませんか?」

チューターの男性:「そうですか、それでしたら、どうぞどうぞ」

私は自分で述べた言葉に驚いたが、その時の私は医学部に入り直すことを考えていたようだ。チューターの男性に案内されると、その公民館のような建物の中が意外に広いことに気づいた。

チューターの男性:「よろしければ、今からちょっと講演を行っていただけませんか?」

チューターの男性は私にそのような依頼をしてきた。あまり気乗りはしなかったが、特に断る理由もなかったので、そこに集まる大勢の保護者と生徒の前で少しだけ講演を行うことにした。

日本の大学を卒業し、その後企業に入り、そこから米国と欧州の大学院で学び今に至る流れを紹介しようと思った。大勢の視線が集まる中、まずは挨拶をし、自分の名前を述べたところで夢の場面が変わった。フローニンゲン:2018/12/7(金)07:36

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