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3477. 走らないマラソン大会に関する夢


今朝は七時前に目を覚まし、ゆっくりと起床した。四時頃に一度目を覚ましたのだが、そこで起床することをせず、もうしばらく寝ていた。

今、外の世界には小雨が降っており、雨滴が窓ガラスに付着している。通りを走る車が水しぶきを上げる音が聞こえて来る。

辺りは真っ暗闇に包まれているのだが、もうこの時間には比較的多くの車や人の姿を見ることができる。オランダの朝は早い。

今朝方も夢を見ていた。記憶に残っているのはわずかな部分だけかもしれないが、それでも覚えている限りの事柄はできるだけ書き留めていきたい。

夢を書き留めることによって、それが後々大きな自己発見をもたらすことがある。さらには、夢は書けば書くほど、その想起力が高まっていく。

そしてそもそも夢を書き留める行為自体に、治癒と変容の作用が内包されているように思う。

四時に目覚める前に、私はある夢を見ていた。夢の中で私は、ある山道の上にいた。

どうやら、今から学校が主催するマラソン大会が行われるようだ。周りを見渡すと、私の友人ばかりであった。また、彼らは全員小中学校時代の友人だったのだが、このマラソン大会は小学校が主催するものではなく、中学校が主催するものだということがなんとなくわかった。

今回の大会で採用されたコースは山道を主に走ることになり、行きは登り道が多く、帰りは下り道が多い。いずれにせよ、かなり過酷なコースである。

私は気負いすることなく、至って冷静にスタートの時間を待っていた。友人たちと準備運動をしたり、雑談をしたりしながらスタートの時間を待っていると、いよいよスタートの時刻となった。

すると突然、スタートに向けて気持ちを高めていたにもかかわらず、私は今からマラソンをすることがとても馬鹿馬鹿しく思えてしまい、走ることをやめようと思った。スタートして一、二歩ほど歩いてから辞退するか、スタート前に辞退するかを考えていた。

結局私は、スタートを切ることさえもせず、走ることをやめた。このようなコースを本気で走ったら、逆に体に悪いように思えてしまい、無理に体を痛めつける必要はないと思ったのである。

私はスタート地点かつゴール地点である場所から、走る友人たちを見届けようと思った。私が辞退したこととは関係なしに、スタートの合図であるピストルの音が鳴り、友人たちは一斉に走り始めた。

このコースの大部分は坂道で構成されているが、最後の数百メートルは平坦な直線であり、皆のラストスパートの様子を見ることができる。私は幾分それが楽しみであった。

スタートしてしばらくすると、私が待機しているゴール前の休憩所に、別の友人が苦しそうな表情を浮かべてやってきた。どうやら彼もマラソンを途中で辞退したらしい。

彼と少し話をした後に、私は今からスタートしても、最後尾を走っている友人たちに追いつくことができるかもしれないと思った。軽いジョギング程度なら身体に負担はかからないだろうが、彼らに追いつくためには、かなり本気で走らなければならないため、結局今から走ることをしなかった。

先頭を走る友人がゴールのテープを切った時、夢から覚めた。フローニンゲン:2018/12/4(火)07:37

No.1458: A Scent of Soil

One day in my life is approaching the end now.

I’ll study composition theory a little bit more, and then I’ll go to bed. Groningen, 20:32, Tuesday, 12/4/2018

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