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3457. シャドーワークとしての夢の振り返り


つい先ほど、今朝方見ていた夢について日記を書き留めていた。夢を書き留めることは、一つのシャドーワークとして機能しているように思う。

しかもそれは、自己に関する多くの気づきや発見をもたらしてくれるという点において、随分と有益なシャドーワークだと言えるだろう。

夢について書き出してみると、忘れてしまっていた部分についても時々思い出すことができる。今朝方の夢を大方書き出してみた後に、そういえばその他の夢も見ていたことを思い出した。

リゾート地に滞在している夢以外には、欧州のどこかの国で日本人とルームシェアをしながら生活をしている夢を見ていた。なんとその人数は10人であり、しかも彼らは大学生ぐらいの年齢であり、全員がとても若い。

その夢の場面では、ルームシェアをしている他の10人と殺風景な広い部屋で一緒に就寝に向かうところだった。就寝に向かって目を閉じていると、これまで自分はどれぐらいの期間彼らと過ごしたのかわからないが、ふとこうした生活に違和感を覚えた。

男女入れ混じる10人の他人と同じ部屋で寝ることが少しばかりおかしいことに気づき、落ち着いて寝られないように思えてきたのである。確かにその日は全員が同じ時刻に就寝したが、生活リズムは全員異なるため、自分の就寝のリズムが今後狂ってしまう可能性もあると考えた。

そのような考えが芽生えた瞬間に、同じ国の中の別の場所で、小中高時代から付き合いのある友人一人とルームシェアをしながら生活している場面に変わった。10人とルームシェアをして生活をすることには嫌気がさしていたため、気心の知れた友人とルームシェアをできることは私を安心させた。

しかし、そこでも結局、他人と一緒に生活をすることに違和感を覚え、私は一人で生活できる場所に引っ越すことにした。そのような夢の場面があったことをふと思い出した。

この夢はどこか、一人で落ち着いて生活することを強く望んでいる自分の姿を映し出しているようである。他人から自分の生活に一切の干渉が入らないような生活。

ここでは他人と物理的に一緒に暮らすことを避けようとしているのみならず、社会から自分の生活に干渉が入ることを避けようとする自分の姿を暗示しているように思える。そして、日本で生活することを可能な限り長く控えたいと思う理由の一つとして、他人や社会からの見えない干渉が日本社会の中に溢れているという点を挙げることができることにも気づく。

リゾート地を訪れた夢についても振り返っておくとするならば、その最後の場面で疲労困憊で倒れてしまったシーンについては思うところがある。普段であれば就寝一時間前はくつろぐ時間にしているのだが、昨夜は結局、その時間も返上して作曲理論の学習をしていた。

気がつけば就寝に向かう時間がやってきており、昨日は本当に作曲理論の学習に没頭していたように思う。就寝前の自分は特に疲れなど感じていなかったのだが、就寝前のくつろぐ時間を返上してしまったことが、夢の内容に影響を与えたのかもしれない。

今日は昼食後に、協働者の方たちとオンラインを通じて勉強会を行うが、それ以外の時間については作曲理論の学習と、休憩として作曲実践を行っていきたいと思う。フローニンゲン:2018/11/29(木)07:22

No.1450: Sounds of Clouds

Lunch time is coming.

I’ll go for a walk in the afternoon to go shopping in the center of the city. Groningen, 11:41, Friday, 11/30/2018

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