今朝方の夢について振り返ってみると、先ほどまで見ていた夢からまた色々と考えさせられることがある。夢の中に現れていた諸々のシンボルから意味が滲み出しており、それを自分なりに汲み取っている。
ここではあえて明記しないが、最初の夢にせよ、二つ目の夢にせよ、色々と思うことがある。様々な意味が立ち現れ、それについて考える過程の中で生まれてくる感情エネルギーにも注目をしている。
意味、思考、感情はお互いに切り離すことができないようだ。
今、書斎の中では、ラフマニノフの曲が静かに流れている。昨日も随分とラフマニノフの曲を聴いていた。ここ数日間は、Spotifyにダウンロードしている曲を、ダウンロードした古い順に全て聴き直している。
明日は土曜日であり、先週の土曜日の午後は長時間にわたって座禅をしていた。そこで体験したことや、得られた洞察が強く印象に残っており、明日の午後も再度長時間にわたって座禅瞑想をしようかと思っている。
先週実際に座る前までは、年内にはもう長時間にわたって瞑想をすることはないだろうと考えていたのだが、瞑想をしてみて考えが変わり、年内にもう一度と言わず、明日を含めて何回か長時間にわたって座ってみたいと思うようになった。
Spotifyの音楽を聴き直していたのは、明日長時間にわたって座る時や、今後長時間にわたって瞑想するときに聴く音楽を選定する意味もあった。私は普段ピアノ曲ばかりを聴いているのだが、明日はモーツァルトの交響曲を聴きながら瞑想をしようかと思う。
調べてみると、モーツァルトの交響曲を全て聴こうと思ったら13時間ほどかかるようなので、明日の瞑想中に聴く音楽が不足することはなさそうだ。全ての交響曲を順番に聴いていくよりも、モーツアルトの交響曲の中で「三大交響曲」と呼ばれる、39番、40番、41番を繰り返し聴いていこうかと考えている。
早速、それらの三曲が収録されたCDをダウンロードした。厳密には、39番からではなく、38番から41番までの二時間弱のものである。明日はそれを繰り返し聴きながら、先週と同じく四時間半か五時間ほど瞑想をしようと思う。
年内にはもしかすると、もう何回か座るかもしれない。平日は長時間にわたって座る時間はないため、週末に時間を取り、年内にもあと何回か座禅に取り組もうと思う。
バッハの平均律クラヴィーア曲集を聴く回や——その際にはリヒテルの演奏を聴こうと思う——、バッハのコラールだけを聴く回を設けたいと思う。平均律クラヴィーア曲集はちょうど四時間半から五時間弱の時間なので、ちょうど良いかもしれない。
瞑想中の知覚体験が、楽器によってどのように変化するかを検証するのみならず、人の声によってどのような変化を遂げるのかを確かめてみたいため、コラールを聴きながら座る回も設けたい。
まさか年末に何度も長時間にわたって座禅瞑想をするとは思ってもいなかったが、週末に行う接心としてそれらを位置付けたい。自分の内側から、座ることへの促しが起こっているようだ。
それは内側からの要求であるから、それに逆らうことなく従ってみようと思う。フローニンゲン:2018/11/23(金)06:39
No.1437: A Cultural Veil
To notice the existence of a cultural veil is an essential requirement to actualize emancipation and freedom.
I was thinking about it before daylight. Groningen, 08:04, Saturday, 11/24/2018