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3398. 夕方の絶景:GDPと精神病理


時刻は午後の五時半を迎えた。今から一時間前から五時までの間、夕日の絶景がフローニンゲンの空に広がっていた。

30分を超す間、自然が生み出す美を味わっていた。晴れの日の夕方には、こうした素晴らしい夕暮れ時の空を味わうことができるがフローニンゲンの良さだ。

空に雲がない時の夕日よりも、少しばかり雲がある時の方がその美しさは増すように思う。というのも、夕日が雲に照らされることによって、なんとも言えない美を生み出すからである。

明日も同様の時刻を迎えたら、書斎の窓に近寄って、夕暮れ時の空をゆっくりと眺めようと思う。

今日は昼食前に、エマニュエル・シャブリエに範を求めて曲を作り始めた。36小節の短い曲を参考にしていたのだが、思っていた以上に一曲作るのに時間がかかった。

その曲を作りながら、今から六年前に、サンフランシスコの坂道(おそらくフィルモアストリート)を下っていた時、突如として、正気と狂気の境目は薄皮一枚ほどの厚さしかないことに気づいたことを思い出した。

薄皮一枚を隔てた正気と狂気さの双方が、私たちの内側には絶えず渦巻いている。そして、私たちが反対側の極に行くことは極めてたやすく生じる。そんなことを考えていた。

今日は結局、マーク・フォーマン博士の書籍を参考にして、発達段階5、5.5、6の三つの段階の特性について文章をまとめることをしなかった。今夜もそれに取り掛かる気は無いので、明日にでもそれを行いたいと思う。

書きたいと思った時にそれを書けばいい。それらの記述を読みたいと思わなければ読まなければいいし、書きたいと思わない時には書かなければいい。全てを自分の内側の内発動機に委ねようと思う。

夕日の美しさを眺めていた時、オランダという国の持つ落ち着きに対して、心が安らかになった。こうした安らかさをもたらす国で今後も生活をしていきたいと思う。

来年はアメリカの大学院に進学するか、スイスで生活をすることになる。アメリカにも落ち着いた場所があるのは知っているが、国全体の諸々の事柄を考えてみると、正直なところ自分にとっては、アメリカはあまり住むのに適した場所ではないと思う。

このようなことを述べていると、アメリカに長く捕まる可能性があるのだが、仮に来年アメリカで生活を営むことになったとしても、生活をするのは数年ほどに留めたい。

ふと、自分はGDPの上位の国の生活環境があまり良くないと感じているようだ、ということに気づいた。確かに、物質的に恵まれた面があったとしても、GDP上位の国は、どこか精神的に異常なものが漂っているのを感じる。

多くの国はGDPを上げることに躍起になっているかもしれず、上位の国は自国のGDPをさらに高めることに躍起になっているかもしれないが、それはとても馬鹿げた事柄のように思える。GDPの数値は、その国の集合的な精神病理と少なからぬ正の相関があるのではないかと思ってしまう。

改めてGDPのランキングを調べてみたが、上位の国は軒並み、そこで生活をしたくないと思う国ばかりであった。GDPの増大が自国の精神病理を増大させることにつながるのであれば、GDPとは一体何の指標であり、なぜそんなものを増大させることに躍起になっている人たちがいるのか不思議に思う。フローニンゲン:2018/11/14(水)17:46

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