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3384. 時空間を超える曲について


今朝方に見ていた夢について振り返ったところで、今日の活動予定について書き留めておく。今日はこれから、早朝の習慣である作曲実践を行う。

昨日、ハーモニーに関する書籍を読んでいた時に、確かに作曲理論を学んでいくことは、観点を獲得する上で重要だが、それ以上に実践の方が大切であるという思いを強くしていた。実は、書籍から学べる作曲理論は、作曲実践から直接的に学ぶことができるのではないかと思っていた。

さらには、書籍を通じて得られる知的理解よりも、実践を通じて得られた身体的理解の方が遥かに重要であるように思えたのである。スポーツにせよ、プログラミングの技術にせよ、はたまた外国語の習得にせよ、具体的な技術を要求される分野において、その分野の専門書を読むよりも、実践を通じて絶えず内省をしていくことの方が、技術を磨いていく上でカギを握るのではないかと改めて思っていた。

もちろんこれからも作曲理論に関する書籍を読んでいくだろうが、それを行うのは時間があるときに書籍を眺める程度に留め、兎にも角にも実践を最優先させていこうと思う。そうした実践の都度、新たな発見や気づきを得るように意識し、それを内省対象として学習を継続していく。

今日は昨日に引き続き、早朝の作曲実践において、バッハではなく、ショパンに範を求めようと思う。これまで毎日バッハの四声のコラールを参考にしていたが、少しばかり気分転換として、何日間かはショパンの曲を参考にしてみようと思う。

読書、作曲、日記の執筆などを行き来することが一つの調和を生み出しているように、参考にする作曲家を色々と行き来することは、自分の内側の音楽空間に調和をもたらしているようだ。今日の午後には、バッハの変奏曲に範を求めて作曲する。

昨日にふと、近々、曲の進行を鏡に映したように、AからB地点までの曲の動きをそっくりそのまま逆にして、BからAに戻っていくかのような曲を作ってみようと思った。不思議なことに、これを行うと、楽譜の二次元上においては、確かに曲が逆進行に動いているのだが、三次元上の音楽空間においては、一つの時の流れのように継続した曲の進行になる。

最初私は、時間を逆に巻き戻したいと思っていたのだが、仮にそれを意図して鏡のように曲を作ったとしても、時間の不可逆性を乗り越えることは難しいことがわかった。だが、体感として時間が逆に戻ったかのように感じられる曲を作ることができたら、それは非常に面白いと思った。

今書斎の中に流れているバッハの曲のように、いくつかの曲は、私たちの意識下において時空間を超越させてしまう力を持っていることを考えると、あながち時間を逆方向に進行させるような感覚を引き起こす曲を考えることもおかしなことではないのかもしれない。

カリフォルニアのベイエリアに住んでいた頃を含め、過去に何度か、意識が時空間を超えていく体験をしたことがあることを思い出すと、意識のそうした性質を用いれば、時空間を超えていく作用を引き起こす曲を作っていくことができるかもしれない。そうした観点からバッハの曲を参考にしていくのは面白いだろう。

また、時空間をワープしていく際にカギを握るのは、意識の性質のみならず、記憶という脳内現象でもあるため、記憶についても今後は学習を深め、そこで得られた発見事項を作曲に活用してみたいと思う。その際の学習のポイントは、記憶の想起、記憶の創造、記憶の合成及び改変などになるだろうか。フローニンゲン:2018/11/11(日)06:50

No.1403: A Swamp’s Greeting

Clouds in the sky look as if they were walking around a swamp.

I’ll start my afternoon reading. Groningen, 15:08, Monday, 11/12/2018

過去の曲の音源の保存先はこちらより(Youtube)

過去の曲の楽譜と音源の保存先はこちらより(MuseScore)

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