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3373. 唯一無二性


時刻は午後の七時半を迎えようとしている。つい今しがた夕食を摂り終えた。

ここ最近は毎晩、肉厚のサーモンを焼いて食べることが多かったが、昨日から別の種類の魚を食べることにした。オランダ語で表示されているので自分が何という魚を食べていたのか定かではないが、白身の魚だ。後ほど、そのオランダ語を調べ、昨日と今日食べていた魚の名前を特定したいと思う。

今日は午後に一度、自分の意識が飛んでいた。それは気を失うという意味ではなく、ふとした瞬間に、超越的な意識状態に参入していたということだ。

その時の私は肉体としてはフローニンゲンにいたのだが、太陽系を超えて、銀河系まで意識が飛んでいた。そして、自分が人類史上の中で唯一無二の存在であることに気づき、同時代に生きている他の一人一人もそうだと思った。

人類の歴史が始まってから、人類が滅びるまでの過程において、自分と同一の人間は二度と現れないということ、そして自分の日々の一つ一つの体験が唯一無二のものであることを改めて知った。その気づきを得た時、私はフローニンゲンの自宅の書斎の中にいた。

一人の人間の命や一生が尊いというのは、おそらくその点にあるのだろう。人類の歴史が始まって、人類の歴史がいつか途絶える日までにおいて、自分と同じ人間は二度と現れないということ。

そして、そうした自分が経験する日々の一瞬一瞬も唯一無二のものであるということ。そこに人間の尊さがあるように思う。

それはおそらく人間のみならず、生物にも当てはまるだろう。さらには無生物にすら当てはまるかもしれない。

現代人の多くは、自分の存在や人生が唯一無二のものであることを忘れていやしないだろうか。それは今この瞬間の世界において唯一無二のものであるというだけではなく、人類の歴史が始まってから終わりに至るまでの全期間においてそうなのだ。

ここのところ、自己の唯一無二性を感じながら毎日の活動一つ一つに取り組んでいるように思う。端的には、「自分はそれをするために生まれてきたのかどうか」という問いが常に存在の内側に漂っており、私は毎日、唯一無二の存在である自分に与えられた——託された——取り組みだけに従事している。

そう思えない活動には一切従事していない。なぜなら、それを行うことが自己という人間の尊厳を傷つけているように思えるからである。日々の生活の中で、何をしようにも、活動との一体化を絶えず感じているのは、そうした考えを持って毎日を生きているためかもしれない。

自己のみならず、自己を取り巻く遍く存在が唯一無二であり、そうした存在に溢れた世界の中で私は毎日生きているのだと思う。

辺りは真っ暗な闇に包まれ、明日への準備をし始めている。闇が闇だとわかった瞬間に、その闇は先ほどまでの闇ではなくなる。

自己が自己だとわかった瞬間に、その自己は先ほどまでの自己ではなくなることに似ている。内外宇宙は絶えず小さな超越を続けている。フローニンゲン:2018/11/8(木)19:44

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