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3368. 基礎構造と移行構造:対話実践の意義


時刻は午前十時半を迎えた。紅葉をつけた木々が揺れ、小鳥の鳴き声が聞こえてくる。もう随分と秋が深まったことを感じる。

念のため今日の曜日を確認すると、今日は水曜日とのことである。今日は昼食後にオンラインミーティングが一件入っており、明日も一件同じ時間にミーティングが入っている。日々の諸々の取り組みが少しずつ前進している。

早朝にバッハの四声のコラールに範を求めた後に、久しぶりにウィルバーの“Eye to Eye: The Quest for the New Paradigm (1983)”を読み返していた。特に発達段階に関する説明を読み返していると、「含んで超える」という言葉について考えることがあった。

結局そこでは何が含められ、何が超えられているのだろうか?という問いが現れた。端的には、そこで含められているのは既存の発達段階における「基礎構造」であり、超えられていくものは既存の発達段階における基礎構造以外の部分——ウィルバーはそれを「移行構造」と呼んでいる——である。

基礎構造というのは、その段階を特徴付ける最も重要な特質のことを指し、例えばキーガンの理論モデルでいうところの他者依存段階においては、二人称の視点が取れる性質のことを指す。逆に超えられていくものは、その段階における限界であり、それは二人称の視点が取れることによって生じる他者依存的な発想の枠組みなどである。

ウィルバーの喩えは面白く、ハワイがアメリカの州として合併された際にも、ハワイの土地そのものは基礎構造として残り続けているが、以前のハワイ王国が持っていた国としての権限——移行構造——は剥奪され、その代わりにアメリカの州としての新たな権限が付与されたというのは、「含んで超える」という考え方における基礎構造と移行構造の性質を説明する上でとてもわかりやすいように思う。

ウィルバーの書籍を読み進めた後は、理論生物学者のスチュアート・カウフマンの“At Home in the Universe: The Search for the Laws of Self-Organization and Complexity (1995)”を読み進めていた。こちらの書籍に関しては、丹念に読むというよりも、目次や見出しを眺めることに留まった。

一方で、その次に読み始めた、理論物理学者のデヴィッド・ボームの“The Essential David Bohm (2002)”は大変面白く、今も引き続き読み進めている。晩年、ボームは理論物理学の研究から意識の研究へと関心を移して行ったことは有名であり、私がジョン・エフ・ケネディ大学に在籍していた頃は、「ボームダイアローグ」というボームの対話に関する考え方が元になった実践技法を学ぶグループに所属していたことが懐かしい。

対話には創造的な力が秘められていることは、対話実践を行ったことのある者にとっては明らかだと思うが、ボームが考えていた対話実践の意義は、そうした創造的な力を用いて、社会を新たに形作っていくことであった。

社会を啓蒙し、社会の変容を促すための対話の実践で必要になるのは、「社会の暗黙的な構造」に光を当て、それを明るみにすることであるとボームは述べている。社会の暗黙的な構造というのは、端的には社会において触れられることのない思い込みや価値観といったものを指す。

そうした目には見えない根強い構造を明るみにすることによって初めて、その構造への働きかけが芽生えてくる。これは社会の変容のみならず、個人の変容においても重要な考え方だろう。

個人にせよ、社会にせよ、暗黙的な構造というものが無数に存在しており、対話を通じてそれらに気づいていくことは、変容に向けた第一歩になるだろう。そしてそれは、あくまでも変容に向けた第一歩に過ぎないことを念頭に置いておく必要がある。フローニンゲン:2018/11/7(水)10:59

No.1392: A Drum Before Lunch

It is approaching noon.

I was reviewing the manuscript of my upcoming book in the morning.

I’ll go to a supermarket from now. Groningen, 11:43, Thursday, 11/8/2018

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