今朝は六時に起床し、六時半から一日の活動を始めた。起床してすぐに、今朝方の夢について振り返っていた。
今朝方は複数の印象に残る夢を見ていた。最初の夢の中で私は、ある開発が進んだ島にいた。
そこは経済的にもすでに発達しており、リゾート化が近年ますます進んでいるようだった。その島で私は何をしていたのか定かではないが、その島から元いた町に何かを届ける必要があった。
友人が小さな箱を私に渡し、それを町に届けることをこれから行おうとしていた。その島から大陸にある町までの交通手段はおそらく飛行機か船しかないのだと思うが、私は空を飛んでその箱を届けることにした。
すると友人が、「向こうの空に雨雲が見えるから気をつけて」と述べた。友人が指差す方向を見ると、確かに雨雲が発生している。
だが、その雨雲よりも高く飛んでいけば何も問題ないと思った。いざ砂浜から空に向かって飛び立ってみると、その島の眺めはとても美しかった。
一方で、徐々にその島が見えなくなるほど空高く浮かんでみると、少しばかり恐怖心のようなものがあった。というのも、今回空を飛ぶ際には一つの風船を用いて、その風船を抱きかかえるようにして空に向かっていったからだ。
その風船から滑り落ちてしまうリスクがあり、その風船が割れてしまうリスクなどがあることを私は考えていた。そうしたリスクを考えながら、万が一風船から滑り落ちたり、風船が割れてしまったりした時のために、一瞬で膨らむ別の風船を用意していることを思い出した。
幸いにも、飛行は順調に進んでいき、友人が懸念していた雨雲の上を通り過ぎていくことができた。そろそろ町に降りる頃だと持って高度を下げていくと、陸地に到着するという安心感が芽生えてきた。
もはや地上が見えなくなるほど高い場所を飛行していたため、地上に到着する安心感は格別であった。風船を抱えたままゆっくりと目的地に向かって下降していくと、到着した場所はアスレチックジムのようなところだった。
そこで夢の場面が変わった。一つ目の夢について考えみると、今回の夢は空を飛ぶことがテーマになっていたように思う。
これまでも何度も空を飛ぶ夢を見ているのだが、夢によって飛行する高度が異なる。一方で共通しているのは、飛行に伴って何かしらの不安や恐怖があるということだ。
今回の夢は、随分と高い場所を飛行していたように思う。確かに空からの眺めは格別であったが、それ以上に、今回は風船を抱えたまま空を漂っていたということもあって、落下の危険性について少々不安な気持ちがあった。
特に、地上の様子が見えるか見えないかのところまで浮上した時には恐怖心のようなものが芽生えていたことを思い出す。地上が見えない恐怖と、空しかない世界に包み込まれる恐怖のようなものがあった。
そういえば、友人が雨雲の存在を指摘した時、雨雲近辺の空は気温が低いだろうと思い、半袖で空に浮上すると寒さが厳しいのではないか、と懸念していた自分がいたことを思い出す。幸いにも、夢の中の私は寒さを感じることもなく飛行を続けることができていたのだが、今回の飛行に関しては諸々の懸念がつきまとっていたことを思い出す。
空を飛ぶ時の自分の身体は、サトルボディに分類されるだろうが、ケン・ウィルバーがサトル意識を三つに分類していることを考えると、飛行に適したサトルボディは限りなくコーザルボディに近いものである可能性があるのではないかと思う。フローニンゲン:2018/11/7(水)07:00
No.1390: Sparkle of Holy Water
It seems to me that the flow of time looks like holy water, and I’m seeing the sparkle of it.
I’ll review the manuscript of my upcoming book from now. Groningen, 20:04, Wednesday, 11/7/2018