top of page

3364. 様々な種類の還元主義


時刻は午後の八時半を迎えようとしている。振り返れば、今日も非常に充実した一日だった。

探究活動に関して言えば、やはり何を読むかはその日に決めるのが一番望ましいように思えた。その日に本棚の前に立ち、その瞬間に読みたいと思う書籍を読んでいくことが、結果として関心の度合いを高く保ち、それが結果として高い集中力を持った読書を可能にしていく。

今日は特にケン・ウィルバーの書籍を何冊か読んでいた。その際には、本文を読むというよりも、注記を丹念に読んでいた。ウィルバー自身が述べているように、ウィルバーの書籍は本文以上に、注記の方が重要な事柄を述べていることが多い。

もちろん、注記に記載されていることはかなり応用的な内容になるのだが、この八年間ほどウィルバーの理論と付き合い、さらにはジョン・エフ・ケネディ大学で在籍していた統合心理学科は何を隠そうウィルバーの理論に基づいて作られていたため、ウィルバーの理論との付き合いはとても長い。そうした下積みがあるおかげで、ようやく注記を丹念に読み進めていくことが可能になっているのかもしれない。

以前、発達段階と時間の関係性について日記で書き留めていたが、まさにウィルバーも同様のことを指摘していることに本日気づいた。これまで認識上の盲点があったのか、ウィルバーの主著の二つである“The Atman Project (1980)”と“Up From Eden (1981)”の中に、そのテーマについて詳しい解説があるということに本日気づかされた。

繰り返し読書をする意義の一つがまさにここにある。初読や再読の時には理解できなかったことや見落としていたことに、三読目以降に気づくことは頻繁にある。

そもそも、初読から次にその書物を読む時までに、自分自身が何かしらの変化を遂げているはずであるから、次にその書籍を読む際に新たな発見があるのは当然である。明日もそうした発見が豊富にあるだろう。

今日は午前中に、イギリスの物理学者であるロジャー・ペンローズの書籍を二冊ほど読み進めていた。確かに本書の中には面白い事柄もあったことは確かだが、ペンローズの採用する観点が物理学に縛られ過ぎており、時折窮屈さを感じていたのも事実である。

ウィルバーの言葉で言えば、ペンローズの書籍で採用されているアプローチは「粗大な還元主義」と呼ばれるものだろう。それは、リアリティの全ての現象を物質的な事柄(原子、素粒子、ひもなど)に還元する発想を指す。

その他にも「微細な還元主義」というものも存在しており、これはシステム理論や複雑性科学のコミュニティーが陥りがちな発想であり、全ての現象をシステム的な観点で捉えようとする発想を指す。私自身もこの数年間は複雑性科学、とりわけダイナミックシステム理論を活用するコミュニティーに所属していたため、そこで蔓延している発想が何であるかはよく分かる。

どちらの還元主義にも共通しているのは、現象を三人称言語だけで記述しようとすることである。その他にも、ウィルバーの四象限モデルを活用してみた際に、特定の象限だけに焦点を当てていることも別種の還元主義に該当する。

こうした諸々の還元主義は、日常様々ななところで見かけることができるだろう。そこで展開される主張が還元主義的なものに陥っていないかどうか、そして自らの観点や主張が還元主義的なものに陥っていないかを確認することは大切だろう。フローニンゲン:2018/11/6(火)20:40

過去の曲の音源の保存先はこちらより(Youtube)

過去の曲の楽譜と音源の保存先はこちらより(MuseScore)

bottom of page