時刻は午後の八時半を迎えようとしている。今日の読書はこの辺りで終わりにしようと思う。
今日は一日を通して気温が低かったが、どこか生命力のぬくもりを感じさせてくれるような一日であったように思う。秋の終わりにそうしたことを感じられるのは、これからやってくる厳しい冬を思うと心強い。
外側の世界がいかに寒かろうが、自分の生命力のみならず、この世界に遍満している生命力のぬくもりを感じられることは自分にとっての大きな支えになるだろう。もう一つ、自分にとっての支えになるであろうことは、今目の前に広がっている闇である。
夕方まで作曲に没頭しており、ふと顔を見上げると、窓の外の世界がいつの間にやら闇に変わっていた。その闇を見ながら、闇はもう自分にとっての友になったのだと思った。
上記の感覚と合わせて、この感覚さえあれば、暗く寒い冬と調和をなして生活を営むことができるだろう。そうした希望が今の自分の内側にある。
夕方に参考にしていたのはテレマンの曲だ。テレマンの曲が持つメロディーにまた魅せられた。
こうした魅力が一体どこにあるのかを探っていく必要がある。それは楽曲の構造的な分析という意味においては、外側の探究アプローチである。そこにはもちろんながら、楽曲の色や形に関する分析も含まれる。
一方で、テレマンの曲の何に自分が共鳴しているのかを探るという、内側の探究アプローチを採用することも忘れてはならない。多くの人が犯しがちな過ちは、外側のアプローチだけを採用するか、はたまた内側のアプローチだけを採用することである。そうした還元主義的なアプローチを採用しないように気を付ける。
曲と向き合う際にも、常に内外のアプローチを活用することが重要である。そのためには、外側から楽曲を分析していくための知識と、内側から楽曲を探究していくための開かれた感覚が必要になるだろう。
今日は結局、バッハの曲を二曲参考にし、テレマンの曲を一曲だけ参考にすることに留まったため、明日はハイドンやモーツァルトの曲を参考にしようと思う。
夕食後から今の時間まで、再び読書を行っていた。先ほど読んでいたのは、ケン・ウィルバーの最新刊である“The Religion of Tomorrow (2017)”という書籍だ。
本書は発売後比較的すぐに購入し、すでに一読をしている。本書は、ウィルバーの代表作SESに匹敵するぐらいの分量を持つ(800ページ)。
今日はとりわけ、意識の状態に関する箇所を中心に読み返していた。その中で、以前私が日記の中で書き留めていたことに関係する事柄を見つけた。
以前の日記の中で、どうやらサトルの意識状態には階層があるのではないかということを、自らの直接体験を通じて考えていた。初読の時には完全に読み飛ばしていたのだが、ウィルバーはまさに、サトルの意識状態には三つの階層があることを本書で述べている。
その解説を読むと、私が時折体験する、薄白い光や万華鏡のように千変万化するシンボルが知覚される現象は、サトルの意識状態で体験される現象ではないことがわかった。ウィルバーは、コーザルの意識状態については二つの階層に分類しており、どうやら自分が体験していたそれらの現象は、高次のコーザル状態で知覚されるものらしい。
意識状態の分類はなかなか難しいものだと改めて思わされる。本書にはその他にもいくつか気になる箇所があるため、明日もまた本書を再読していこうと思う。フローニンゲン:2018/11/5(月)20:49