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3331. 転調による無意識の内容物の客体化と治癒・変容


結局今日は一日中太陽の光を見ることなく一日が過ぎていった。時刻は午後の五時を回り、空が暗くなり始めている。

白いカモメの大群が空を旋回している姿が見える。寒空がダンスをしているかのような姿を窓から眺めながら、今日は随分と読書を行っていたように思う。

“The Foundations of Aesthetics (1966)”の初読を終え、本書のいくつかの章は認識論の観点と絡めて深掘りしていくに価するものだと思った。以前に少しばかり考えていた諸々の主題について考えを深めるために参考になる記述がいくつかあり、そうした記述が書かれている章に付箋をつけておいた。

今、フリードリヒ・グルダの演奏するバッハのピアノ曲を聴いているが、それらの一連の曲を過去に聴いた人が一体どれほどいるのかについて思いを馳せていた。きっと無数の人がそれらの曲を聴いてきたに違いない。

バートランド・ラッセルが指摘しているように、芸術作品は本来非消費財としての特徴を持ち、芸術作品を鑑賞する人が増えたとしても価値が減じるようなものではない。バッハの曲を聴いてきた人たちは過去無数に存在していたに違いないが、それによってバッハの曲が消費され、価値が減じていくようなことは一切なく、むしろその価値が高まっているかのように思えるのは不思議なことである。

今日はこれから、エルヴィン・シュレディンガーの書籍“What is Life? & Mind and Matter (1969)”の初読を開始しようと思う。一生涯にわたってヴェーダンタ哲学に関心を示したこの類いまれな理論物理学者の書籍を読み進めていくことは非常に楽しみだ。

本書を今日一日で読み終えることはできないであろうから、途中まで読む進め、夕食後には本日三回目の作曲実践を行いたい。午後に上述の美学に関する書籍を読んでいた際に、転調の技術を活用することにより、自らの無意識上の内容物を転調後の音楽空間内で客体化させることができるのではないか、というアイデアが浮かんだ。

ある調を選択して曲を作っていく最中には、必然的にその調に影響を受けた無意識の内容物が浮かび上がってくる。その調のまま曲を作っていく過程の中でもその内容物を客体化することは不可能ではないが、転調を挟むことにより、音楽空間を変容させ、新たに生まれた音楽空間内で先ほどまでの無意識の内容物を捉えることができるのではないかという考えが芽生えた。

それは単に無意識の内容物を客体化することに留まるのではなく、客体化によってその内容物を生み出した無意識の領域の治癒と変容を促進することも可能なのではないかと思う。そのようなアイデアの元、午後に転調の技術を試しながらテレマンの曲に範を求めて作曲実践を行った。

テレマンの曲を参考にしていると、改めてテレマン及びバッハの音楽に自分を惹きつける何かがあることがわかった。これは以前から述べていたことだが、今日もそれを直接体験を通じて実感した。

それが何なのかは作曲実践を通じて、そして自らの内省を通じて徐々に明らかにしていきたいと思う。おそらくそれは自己の本質に関係することなのだと思う。フローニンゲン:2018/10/29(月)17:17

No.1366: A March On a Starry Night

I was remembering the astonishingly beautiful sky at dusk.

Today was very blissful. So will tomorrow. Groningen, 20:09, Wednesday, 10/31/2018

過去の曲の音源の保存先はこちらより(Youtube)

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