今日は午前中の途中から小雨が降り始め、今もまだ小雨が降っている。書斎の窓に雨滴が付着しており、それを通して外の世界を眺めている。
雨が降ることは最近なかったため、雨が地上を洗う働きをしているのみならず、どこか自分の心も洗ってくれているかのようだ。
今日は午前中にルソーに関する書籍“Rousseau and Education According to Nature (1971)”とネルソン・グッドマンの代表作“Ways of Worldmaking (1978)”を読んだ。前者に関しては、随分とルソーの教育哲学を酷評しており、それはそれで得るものが多かったが、その批判内容に関しては今後吟味をしていく必要があると感じた。
ルソーの教育思想の価値についても触れていたのであろうが、それ以上に批判の量があまりにも多かったため、本来存在するはずのルソーの教育思想の価値が見えづらい印象を持った。
グッドマンの書籍に関しては、今回が初読であるため、当然ながら全てを理解しようと思って読み進めていたわけではなく、自分の関心を引く項目を中心に読み進め、いくつかメモを取った。芸術に関するグッドマンの認識論はやはり面白く、今後も本書を繰り返し読むことになるだろう。
数日前に、教育哲学を探究していくことの自分なりの面白さについて考えていた。それはおそらく、誰しもが教育を経験していて、誰しもがそれなりに教育に対して一家言あり、それをもとに対話を行う可能性が存在していることかもしれないと思った。
教育以外に、それほどまでに全員が何かしらの意見と経験を持っている領域はないように思う。それゆえに、「良い教育とは?」という主題を考えていく際には、様々な意見が出てくるのだが、そうした事態は本質的に望ましいことなのではないかと思う。
一つの主題を多様な観点をもとに対話を通じて考えていき、それらの観点を包摂するような上位の観点を生み出していく。そうした作業に従事しなければ、良い教育の実現は成し遂げられないだろう。
教育哲学を探究している動機に関しては様々なものがあることは確かだが、その中でも重要なことの一つは、教育哲学という軸を通じて、多くの人と対話をすることを望んでいる自分がいるからかもしれない。
今日はこれから昼食を摂り、昼食後には過去の日記を編集していく。随分と溜まっていた未編集の日記も着実に編集が進んでいき、来週末までには随分と編集が進むと思われる。
日記の編集後、仮眠を少し取り、その後にテレマンに範を求めて作曲実践をする。今日は時間を見つけて、少しばかり作曲理論の学習を進めていきたいと思う。フローニンゲン:2018/10/23(火)12:18