本日フローニンゲンの街の中心にある古書店で“The Necessity of Errors (2011)”を眺めていると、そもそも私たちが何かを理解する際には、真実と誤りの双方が内在的に存在しているのではないかとふと思った。
立ち読みをしながらしばらく、これまでの私は「芸術(作品)を理解すること」について関心を寄せていたが、「芸術(作品)の理解を誤る」とはどういったことなのだろうかと考えていた。芸術作品を理解するときに、事実的な真実や感覚的な真実などの分類が可能であり、事実的な誤りという分類はすぐに考えられる。
だが、感覚的な誤りという分類が成り立つのかについて考えさせられていた。芸術作品を見たときには、事実的な真実のみならず、感覚的に何かしらの真実も同時に掴んでいるだろうが、芸術作品を見たときに事実的な理解の誤りを犯すことはあっても、感覚的に誤るということが起こり得るのかどうかについて考えてみたが、それについては具体例がすぐに思い浮かばず、その考えを少しばかり寝かせることにした。
「認識上の誤り」という言葉はよく聞くが、それは事実や論理の誤りという狭い範囲のものであり、感覚を通じた認識上の誤りというのも考えられなくはないということを考えさせられていた。
今日はその他にも、“Reason in Art (1982)”という書籍を購入し、これは以前にも注目をしていたものだ。厳密には、この書籍そのものに着目をしていたというよりも、この書籍を執筆したジョージ・サンタヤーナという哲学者に注目をしていた。
今日偶然にもその書籍を手に取り、以前この古書店を訪問した時にはその書籍にあまり響くものはなかったのだが、芸術教育について関心を持ち始めた途端に、サンタヤーナが執筆した本書が自分にとってとても大切なものに思えてきたのである。
サンタヤーナは哲学に関する書籍を数多く残しているのだが、驚いたことに日本語に翻訳されているものはほとんどないことを知った。サンタヤーナはハーバード大学を卒業し、大学時代は心理学者かつ哲学者でもあったウィリアム・ジェームズに師事をしていた。
その後、イギリスのケンブリッジ大学に留学をし、ハーバード大学で教鞭をとった後は、ヨーロッパ諸国を転々としながら思索活動を続け、最後はイタリアでこの世を去った。サンタヤーナは美学に関する仕事も残しており、また彼の世界を遍歴する点などが、どうも私の関心を引くようだ。
本書の中でも特に、「芸術の正当性」「芸術と幸福」の章は丹念に読み進めたいと思う。フローニンゲン:2018/10/16(火)20:50
No.1353: Pink and Light-blue DNA
If I colored my DNA today, the colors would be pink and light-blue.
Presuming that DNA is variable, I’m imagining the color of tomorrow’s my DNA. Groningen, 14:57, Saturday, 10/27/2018