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3228. 生態系としての意識


時刻は午後七時半を迎えた。ボストンからフローニンゲンに戻ってきての初日は、とても落ち着いており、かつ非常に充実していた。

華麗な秋の足音が聞こえてくるかのような雰囲気に包まれた土曜日だった。先ほど夕食を摂りながら、私たちの意識というのは一つのダイナミックな生態系なのだということに改めて気付いた。

生態系の中には多種多様な動植物が生存しており、それら一つ一つが固有の知性を示しているイメージが浮かんできた。このイメージとほぼ同じ発想を持って人間の知性を研究していたのが、カート・フィッシャーの協働者であったポール・ヴァン・ギアート教授だ。

ヴァン・ギアート教授は数年前までフローニンゲンに在籍しており、引退後も学会などで発表を行っている。今年の春にアムステルダムで行われた学会では、ヴァン・ギアート教授と初めて実際にお会いする機会があり、そこで立ち話をしたことがとても懐かしい。

ヴァン・ギアート教授が述べていたことの中で興味深いのは、生物学者としてキャリアをスタートさせたジャン・ピアジェの研究者としての夢は人間の知性を生態系として探究していくことである、というものだ。

ピアジェの発想を少しばかり拡張させると、知性そのものを生態系として見立てることができるのに加え、私たちの意識そのものを生態系として見立てることも可能なのではないかと思う。これはどの研究者が述べていたことかは忘れてしまったが、私たちの知性は意識空間の中で生起するものであり、それは外部の世界とのインターフェイスとして発揮されるという見方がある。

意識というのは広く漠然としているが、知性というのは外部環境との接触によって発揮される機能的な側面を持つ。こうした知性が意識の中には無数に存在している。また、一つ一つの知性は相互に影響を与え合っている。

もちろん、その隣接度合いが遠ければ、相互作用の影響は小さくなるかもしれないが、一つの知性は一つの生物種だと捉えれば、意識というものがダイナミックな生態系としての性質を持っていることがわかるのではないかと思う。

生まれたばかりの生物種、成熟の過程を歩んでいる生物種、病気を患っている生物種など、私たちの意識には様々な生物種が同居して生存している。こうしたメタファーを持つことによって、知性や意識を画一的に捉えることを少しは防げるのではないかと思う。

また、知性や意識を何かしらの手段によってアセスメントする際や、それらの発達を支援する際にも、今現在行われているような極めて短絡的なアプローチを採用することに疑問を持つことができるようになるのではないかと思う。私たちの知性や意識というのは、非常に複雑な生態系なのだと改めて実感する。フローニンゲン:2018/10/6(土)19:49

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