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3209.【ボストン旅行記】博士課程進学の検討に関して


昨日再び博士課程への進学について検討をしていた。今のところ、芸術教育に関する探究を進めるために、来年の初旬にはハーバード大学教育大学院(HGSE)を含めた米国のいくつかの大学院の修士課程に出願を考えている。

出願は多くて二、三校に留めるか、今回HGSEを訪れて何人かの教授と話をさせていただくことによって、この場所が非常に素晴らしい探究環境を提供していることを実感し、HGSEだけに出願するかもしれない。今のところはそのようなことを考えている。

仮に来年、HGSEまたはどこかの修士課程に所属したとしても、プログラム終了後の一年は今年と同じように、学術機関に所属しない道を選ぶように思う。プログラムに在籍している時に博士課程への進学を真剣に検討し、もし進学を決意したら翌年に時間をかけて念入りな準備をしたい。

今のところは、博士課程に行って探究を進めたいという思いと、学術機関の外で探究を進めたいという思いが同じ程度同居している。今の私の関心事項は果たして学術機関に所属しなければ探究できないことなのか、あるいは、学術機関に所属して探究を進めた方が望ましいものなのかについてまだ判断ができないでいる。

これは今すぐに判断する必要はなく、そのために来年の修士課程の期間がある。おそらく今回の修士課程が最後になるであろう。もしかしたら今から数年後や10年後ぐらいに再び修士課程で学び直しをする可能性もなくはないが、とりあえず近い将来においては来年の修士課程を最後としたい。

博士課程に行くことへの躊躇を生んでいるのは、私はどうしても時に学術機関の中での学びに窮屈さを感じてしまうことである。その窮屈さを生んでいるのは、学術機関の中では時に純粋な内発動機以外の動機で学習を進めていかなければならない場面に遭遇することだ。

とにかく私は自分の内発動機に従って探究を行っていきたい。それはおそらく魂の要求事項であり、それに反することを行うことは私にはできない。

学者たちとの意見交換や交流は、自分の探究を前に進める上で不可欠なことであり、学術機関に所属しない形で学者たちとの関係を継続することができれば最善かもしれない。いずれにせよ、来年一年は修士課程で新たな探究項目の理解を深めていき、その一年間を使って、博士課程に進学する意味についても検討したいと思う。

五年や七年もの時間を学術機関に所属する形で過ごすことにどれだけの意味があるのか。自分の人生に与えられた役割を果たすためにそれが本当に必要なのかどうか。

その辺りの見極めを来年の一年間、あるいは再来年にかけて検討したいと思う。ボストン:2018/10/2(火)09:28

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