たった今、キャサリン・エルギン教授のクラスの聴講を終えた。それは、午前八時から午前九時半にかけて行われた芸術理解に関するクラスだ。
あと一時間したらエルギン教授のオフィスに行き、少しばかり話をさせていただけることになった。クラス開始の15分前にレクチャールームに到着すると、そこにはすでに一人の男性がいた。
彼の名前はアンドリューといい、彼はハーバード大学教育大学院(HGSE)の博士課程に在籍しており、ティーチングアシスタントを務めているとのことであった。とても物腰が低く、好感を抱かせる人柄のアンドリューに、クラス開始前に博士課程について色々と話を聞いてみた。
私がここ七年以上も着目し続けている教育哲学者のザカリー・スタインは、数年前にHGSEの博士課程を修了している。数年前からHGSEにおいては、「教育博士号(EdD)」の取得できるプログラムを提供することをやめ、その代わりに、ハーバード大学学術系大学院の傘下で一般的な意味での博士号(PhD)を取得できるようなプログラムに変わった。
今年はHGSEの芸術教育プログラムに関する修士課程に応募しようと考えているが、将来は博士課程への進学も視野に入れており、アンドリューに博士課程の様子について質問をしてみた。特に私が気になっていたのは、新しい博士プログラムでは、教育研究に力を入れており、それはどこか科学的な研究に重きを置いているように感じていたことである。
アンドリューに素直にその点について聞いてみると、博士課程に在籍する一学年およそ25名のうち、教育哲学に関心を持って研究を進めているのは一人か二人とのことであった。その一人がまさにアンドリューだった。
博士課程への応募に際して、純粋に哲学的な研究をしたいと主張するのは賢明ではなく、アンドリュー曰く、新しい理論の構築に向けての研究を行っていくことを主張する形で入学を許可されたそうだ。アンドリューとしばらく話をした後に、数名ほどの生徒が教室に入ってきた。
エルギン教授のクラスが哲学的なものであるためか、受講者の数は多くなく、私が想像していたように小規模のものであった。人数としては私を除いて、八名ほどの受講者だった。
クラスが始まる数分前にエルギン教授が部屋に入ってきたので、私はすぐに挨拶に行き、聴講を許可してくださったお礼を述べた。エルギン教授はすでに70歳を迎えているのだが、クラスを通じて非常にエネルギッシュな方だと思った。
そして何よりも、長年にわたって哲学的な探究を続けてきたことが体感として実感できるほどに知性的な方だった。生徒が一つ発言をするたびに、その発言に対して複数の論点を抽出したり、それらを組み合わせたり、はたまたそれらの論点を包摂するような新たな論点を次々に私たちに投げかけてくる様は圧巻であった。
受講者が八名ほどであったため、私も意見を述べやすく、聴講をしに来た身であるにもかかわらず、いくつか自分の意見を述べさせてもらったり、質問をさせていただいた。クラス内で取り上げられた事柄については、また後ほど日記にまとめておきたい。
もうしばらくしたら今いるHGSEの図書館を離れ、エルギン教授のオフィスに向かおうと思う。ボストン:2018/10/1(月)10:07
No.1332: Imaginary Flowers Before Lunch
It’s almost noon.
I perceived imaginary flowers in my mind before lunch. Groningen, 11:54, Saturday, 10/20/2018