時刻は午前七時に近づきつつある。今日は日曜日であるためか、より一層静けさを感じる。こうした静けさの中で、今日の取り組みを着実に前に進めていく。
昨日無事にTOEFL試験を終えたことにより、試験に向けた勉強から解放された。試験に向けた勉強をしている時は、一日に二曲しか曲が作れなかったが、今日からは以前と同じリズムに戻し、一日に三曲作っていくことにする。
今朝はまずハイドンに範を求めて曲を作る。昼食の前後にどの作曲家に範を求めて曲を作るかはまだ決めていない。
作曲においては、過去の偉大な作曲家を師に持つことができて本当に嬉しく思う。彼らはすでにこの世にいないため、同じ空気を吸うことはできないが、それでも楽譜を通じた交流ならできる。
その交流が自分にもたらすものの大きさを考えると、仮に同じ空気を吸いながら師事をしていたらどのような学びが得られたのであろうか、と考えてしまうほどである。自分が師と仰ぐ人からは汲み取れるものを全て汲み取るようにすること。これは作曲実践だけではなく、探究活動においてもそうだ。
昨日アムステルダムからフローニンゲンの自宅に戻ってきて早速、教育哲学者のキャサリン・エルギン教授の書籍“True Enough (2017)”の続きを読み進めていた。この書籍の章が進むたびに、本書の持つ真価が見え始め、ひどく興奮した気持ちになっていたのを覚えている。
エルギン教授から学べるだけのことを学びたいという強い思いが湧いてくる。それは私がフローニンゲン大学に来た時と同じような強い思いである。
フローニンゲン大学にやって来た時には、科学的な観点で人間発達と教育を深く探究したいという思いを持ち、実際にそうした探究に精を出していた。だが今は、哲学的な観点で人間発達と教育を探究していきたいという気持ちが溢れている。
今日も上記の書籍を読み進め、本書を読み終えたらエルギン教授の他の書籍を読み始めるのではなく、もう一度上記の書籍を読みたいと思う。本書はそれほどまでに私の関心を引く内容が書かれており、本書を通じて自分の関心をさらに深く育んでいきたいという思いがある。
早いもので二週間後の今頃はボストンにいる。十月の最初の週にエルギン教授のクラスを聴講し、クラスの後に一対一で面会をする機会を得た。その瞬間が今から本当に待ち遠しい。
ちょうど今日の午後にでもエルギン教授にメールを送り、コースのカリキュラムを送っていただこうと思っていた。私が当日聴講するクラスは、コース全体の中のどのような位置付けになっており、どのようなトピックが取り上げられるのかを事前に把握しておきたいと思ったからである。
このコースはセミナー形式とのことであり、受講者も多くないであろうから、聴講するとはいえ、積極的にクラスで発言をしたいと思う。そのためには事前に、当日のクラスの位置付けと内容を良く理解しておく必要がある。
とりわけ今回聴講させていただくコースは「芸術と理解の本質」という哲学的なものであり、これまでの私は正規の哲学的なトレーニングを受けたことがないため、事前の準備をしなければクラスのディスカッションに入っていくのはなかなか難しいかもしれないと思われた。
そうしたこともあり、今日の午後にでもエルギン教授にメールを送る。エルギン教授のクラスに参加する前に、スティーブ・サイデル教授の「芸術教育の哲学と実践」というクラスも聴講させていただくことになっているため、サイデル教授にも同様の趣旨で今日中にメールを送ろうと思う。
五年振りのボストン及びハーバード大学訪問の日が近づいてきている。フローニンゲン:2018/9/16(日)07:09