黄金色の輝きを放つ夕日がフローニンゲンの空に静かに佇んでいる。夕日の光がとても眩しく、それを直視することはできない。
本当の光とは直視することができないものなのかもしれない、ということをこの夕日が教えてくれているかのようだ。私たちにとって本当に大切なことを見出すのは非常に難しい。
まさに、今夕方の空に輝いている夕日を直視することができないぐらいにそれは難しいかもしれない。しかし、私たちは自分にとって本当に大切なことを直視していく必要がある。
目も当てられないほどの光のような真実を自分の内側に見出して初めて、日々が輝きに満ちたものになるにちがいない。
今日は一日を通してとても肌寒かった。木枯らしが吹く季節が徐々に近づいてきているのを感じるほどであった。そんな気持ちと共に、秋のある日曜日が過ぎていった。
「今日がこんなにも早く終わりに向かっていくとは思っていなかった」という思い。それは一日の終わりに毎日思うことである。
欧州での三年目の生活が始まって一ヶ月が過ぎたが、一日一日が過ぎ去っていく速度は速い。早朝から一日の終わりにかけて自分のライフワークに取り組んでいる時は、あたかも時が止まっているかのような感覚なのだが、ふと一日の終わりに差し掛かると、今日という一日があっという間に過ぎ去っていったことに気づかされる。
人生は止まった流れの中で営まれ、ふとした瞬間に振り返ってみると、それがとてつもない速さで流れていたことに気づかされるかのようだ。
先ほど夕食を摂り終え、これからもう少し仕事を進めていく。今日は午後にふと、教育哲学についての理解を深めていくためには、教育に関心を持つ幅広い人たちとの対話が一番有益かもしれない、ということを思っていた。
確かに今はとにかく修練の時期であるため、教育哲学に関する探究も書籍や論文を通じたものになるのは仕方ない。しかし、書籍や論文では得られないような、生きた問いが教育に関心を持つ人たちとの対話の中で共有され、それがまた自分の探究を深めていくことにつながることを確信している。
教育哲学全般について、これからより本格的に探究を進めていきたい、それこそ、英語空間に存在する全書籍と全論文を読みたいような気分だ。
分野に関しては、広く教育哲学について探究をしていきたいが、最初は芸術教育や霊性教育の文脈に絞って探究を深めていくのが賢明だろう。とにもかくにも今の私を捉えてやまないのは、それらの二つの教育領域なのだから、それらに関する教育哲学を学んでいき、徐々に領域を拡大していくようにしたい。
ルドルフ・シュタイナー、ジッドゥ・クリシュナムルティ、ハワード・ガードナー、キャサリン・エルギンらが執筆している教育哲学書を中心に、自らの関心に従って旺盛な読書をこれから行っていく。
来週の土曜日にTOEFLを受験し終えたら、そこからは読書に充てる時間がさらに確保されるだろう。少しずつでいい。少しずつ、自分に与えられた役割を日々全うしていく。
読むこと、書くこと、作ること。そして、芸術教育と霊性教育。フローニンゲン:2018/9/9(日)19:54