今日もまたヘルシンキでゆっくりとした時間を過ごすことができた。今回の旅行ではヘルシンキとストックホルムの双方の町でゆったりとした時間を過ごし、今回の旅を通じて北欧の文化と自然を存分に満喫することができたように思う。
明日の午前中にホテルを出発し、午後の便でフローニンゲンに戻るが、今回の旅で思い残したことはもはやない。それほどまでに今回の北欧旅行は充実したものだった。こうした充実感がもたらされたのも、おそらく一つ一つの場所を時間をかけて巡ったからだろう。
今日は一日を通じて雲が多かったが、時折晴れ間が顔をのぞかせた。今もまた晴れ間が少し顔を覗かせており、太陽の光が優しくヘルシンキの町に降り注いでいる。
今回の北欧旅行は八月末から九月の頭にかけて行われたが、北欧だけあって旅の最中は常に肌寒く、毎日長袖を着て移動していた。今日も早朝に街中を歩いている最中、ヘルシンキの夏も終わりを迎え、秋に向かっていることがわかった。
今日は随分と長い時間をアテネウム美術館で過ごした。もちろん、パリのルーブル美術館やロンドンのナショナルギャラリーほどの規模はなかったが、ヘルシンキで最大の美術館ということもあり、随分と見所の多い美術館であった。
フィランドの画家が残した一つの風景画の光の加減が極めて美しく、その絵の前に私はしばらく佇んでいた。帰り際に現在展示されている作品が収められている画集を購入したが、その画集には自分が足を止めた絵画が掲載されていなかった。
そのため、作品の名前と作者の名前はわからないが、とにかくフィンランドの画家が残したものであり、ちょうど私が生誕する百年前に描かれたものだということを覚えている。仮に作者と作品の名前がわからなくても、その作品の印象は私の心に残り続けるだろう。とても大きな絵であり、夕方の森をモチーフに、夕日が湖に照っているような絵であった。
その他に私が関心を示したのは、フィンランドの民族叙事詩『カレワラ』に関する展示品である。シベリウスも熱心に『カレワラ』を研究し、その詩の世界をいくつかの曲の中で表現している。
シベリウスが母国の詩集を参考にした気持ちが今の自分にもなんとなくわかるような気がする。歳を重ねるごとに、自分の根源的なルーツを知るたくなるというのは発達的欲求と言えるのかもしれない。
そうした欲求が、米国で生活をしていた時以上に強く湧いてきている。いつか日本の詩集や伝記を読みたいと思う。
古事記や万葉集をいつか真剣に探究する日がやってくるだろう。しかし今はまだ、それらを読むための準備の段階であって、それらを真に読み解く日は随分と先になることが予想される。
おそらく私が次に日本で生活をするようになる日は、日本古来の伝記や詩集を真剣に読もうと思った時だろう。それまでは日本に帰ることはできず、日本で生活をすることは許されない。それは本当に許されないことなのだ。
数年後、あるいは数十年後に日本に戻る日がやってくるか否かは、これからの自分の日々の生活にかかっている。ヘルシンキ:2018/9/2(日)17:28
No.1290:A Gentle Flow of Time
The morning in Groningen has a gentle flow of time.
The sunrise casts its light upon the town. I’ll slowly start my today’s activities. Groningen, 08:30, Sunday, 10/7/2018