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3036.【北欧旅行記】過去の記憶と小さな土台


早朝に降っていた雨が止み、ストックホルムの上空に晴れ間が見え始めた。結局昨日は日記を執筆することを優先していたため、作曲実践ができなかった。朝食までの時間に一曲ほど作れたらと思う。

気がつくと、時々過去の記憶の中に自分がいることがある。あの時はもう戻ってくることはないのだが、なぜかそうしたことを行う自分がいる。

昨日もそのような瞬間があった。帰らぬ時の中にいることも、常なる今の中にいることに他ならないということがわかってくる。人は過去の記憶の中にいたとしても、それは今の中にいることに他ならないのだ。

昨日の日記の中で、ホテルの自室に置いてあった三匹の子犬のぬいぐるみについて言及していたように思う。そのうちの一匹が特に可愛らしく、実家にいるトイプードルの愛犬を彷彿とさせる。

そのぬいぐるみには「ストック」という名前を付け、この滞在期間中は存分に可愛がることにした。そういえば、私が敬愛する辻邦生先生もクマのぬいぐるみを可愛がっていたという話をふと思い出した。

また、昨年の夏にノルウェーのベルゲンを訪れ、そこのエドヴァルド・グリーグ博物館に足を運んだ時、グリーグはカエルの人形を可愛がっていたことを知った。特に演奏会の時には肌身離さずその人形を持っていたそうだ。

そんなエピソードを思い出しながらストックを眺めていた。ストックをオランダに連れて帰るかどうかはまた考えようと思う。

今はストックホルムにいるにもかかわらず、数日前に滞在したアムステルダムの記憶を思い出した。アムステルダムの街を歩きながら、できるだけ多くの人が幸せである社会について思った。

また、道徳心・倫理心、そして感性と霊性が育まれた人間ができるだけ多い社会について思った。逆の状況を想像をすると、なんだか世界が恐ろしくなった。

自分にできることはごくわずかなことかもしれない。だが、それを行うという決意のようなものが芽生えてくる。

何かを自分が成就する必要は一切ない。自分の仕事を引き受ける人がいつかこの世界に出て来てくれればそれでよく、その人がさらに自分の仕事に何かを積み上げていってくれればいいのだ。

自分はその小さな土台を毎日時間をかけて作っていこう。そんなことを思った。

アムステルダムの夕方に吹く風は涼しかった。天から地上に垂れるような笹の葉を見た。それが風にたなびいていた。

そのような記憶がふと甦ってきた。また過去の記憶の中に自分がいたことを知る。

小さな土台を作り、その土台をまだ見ぬ誰かに引き渡すために、今日という一日が自分に与えられているように思う。そのような一日を大切に過ごしたいと思う。

ストックホルムの朝はとても静かだ。ストックホルム:2018/8/26(日)08:03

No.1263: Composition Grammar

The sky brightened after 7 AM. It stopped raining, and the outside world becomes serene.

I’ll compose a piece of music based on Haydn’s work.

I suppose that I’ll be able to establish my own composition “grammar” in some years by composing a few thousand small pieces of music on the basis of past great composers’ works. Groningen, 07:18, Monday, 9/24/2018

過去の曲の音源の保存先はこちらより(Youtube)

過去の曲の楽譜と音源の保存先はこちらより(MuseScore)

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