時刻は午後の八時半を迎えた。ここ最近は日が暮れるのが早くなり、秋の訪れを感じさせる。ただし今のこの時間帯はまだ西の空に夕日が見える。完全に日が暮れるのは九時半あたりだ。
今日は午後に行きつけの美容院に行ってきた。少しばかりさっぱりとしてから今週末から始まる北欧旅行に出かけたいと思った。
いつもの通り、かかりつけのメルヴィンに髪を切ってもらった。
美容院のドアの前に到着し、窓の外から中を眺めると、人がほとんどいないことに気づいた。ドアを開け、中に入ってみると、メルヴィンしかいないようだった。
どうやら他の美容師たちは休暇に入っており、お客も軒並み夏期休暇に入っているとメルヴィンが述べた。いつものように、会ってすぐに握手をし、お互いの近況を話し合うことにした。
私はすぐに、メルヴィンの新しい店の準備について尋ねた。メルヴィンは今の美容院から近いが、より街の中心部に近い場所に新しい店を構えることになっている。ちょうどオープンは11月からとのことであり、今は準備の最終段階に入っているそうだ。
必要な備品を仕入れ、内装を変えていくことを残りの期間で行っていくらしい。今回メルヴィンに髪を切ってもらうための予約をした際に、土日月と三日間スケジュールが抜けていたのは、どうやらその期間に新しい店の準備をしているからのようだ。
新しい店は、ちょうど行きつけのチーズ屋からもう少しマルティニ教会側に向かって歩いたところにある。これまで様々な美容師に髪を切ってもらってきたが、メルヴィンが最も気の合う美容師であるため、新しい店がオープンしたらそこに通うようにしたい。
今日もメルヴィンとは様々な話題について話をした。北欧旅行の話や呼吸と瞑想の話など多岐にわたる。中でも印象に残っているのは、何を意識して普段髪を切っているのかとメルヴィンに質問したところ、大変興味深い回答が返ってきた。
メルヴィンは私の髪を切る手を止め、散髪のプロセスで考えていること、感じていること、イメージしていることをあれこれと語ってくれた。メルヴィンと私は身体意識への関心や霊性への関心などが共通しており、メルヴィンは毎朝瞑想をし、昼食後にも瞑想をしてから午後のお客の髪の毛を切るらしい。
私が非常に面白いと思ったのは、お客が椅子に腰掛け、そこから髪を切る前に、完成型のイメージを即座に描き、そこからは彫刻を彫るような感覚で完成型のイメージに近づけていくとのことであった。基本的にメルヴィンとは絶えず何かを話しているのだが、確かに時折、一瞬だがメルヴィンが黙る時があり、その際には最初に描いた完成型のイメージと現在の姿とのズレを確認しているそうだ。
私:「それはもはやアートの世界だね」
メルヴィン:「そうかもしれないね。そう言ってもらえて嬉しいよ」
メルヴィンは本当に芸術家のように髪を切るなと感心してしまう。そこから話が進み、今度はメルヴィンの客のうち20%が外国人だという話になった。
メルヴィン:「先週末に新しい店の前で写真を撮っていたら、一人のホームレスを見かけたんだ」
私:「ホームレス?」
メルヴィン:「そう、話を聞くと、シリアからオランダに来たらしく、最初の一年は仕事があったみたいなんだけど、どうやら職を失ってしまったらしいんだ」
私:「そういえばシリアから多くの人がヨーロッパに流れ込んできているよね」
メルヴィン:「うん、でね、彼の髪を見ると、もうとんでもない長さになってるんだ。どうやらもう一年以上も髪を切ってないらしい。そこで来週の月曜日に彼の髪を切ってあげることにしたんだ。きっと面白い話を彼から聞けるよ」
私:「それはすごいね。でも彼はホームレスなんだよね?」
メルヴィン:「うん、そうさ。お金なんて受け取らないよ。無料で髪を切ってあげて、彼からシリアの面白い話を聞くんだ」
私:「メルヴィンの心の広さと暖かさは本当に尊敬するよ。きっと彼から面白い話を聞けそうだね」
メルヴィン:「そう、この仕事をしていて一番楽しいのは、椅子に座ったお客さんから色々な話を聞くことなのさ。ヨウヘイからもいつも日本について面白い話を聞かせてもらっているよ。この椅子がね、世界への扉になるんだ」
メルヴィンは目を輝かせてそのように述べていた。今自分が座っている椅子が世界への扉になり、そこに腰掛ける人間との対話が新たな世界を開いていく。
何を隠そう、私の後ろに立っていつも髪を切ってくれているメルヴィンこそが、私の世界を常に新たに開いているのだと改めて思う。ホームレスのシリア人を何のためらいもなく美容院に嬉しそうに呼んだメルヴィンの顔が思い浮かぶ。
メルヴィンほど心が広く深い男とこれまで出会ったことがないかもしれない。いつも溢れんばかりのエネルギーを持つメルヴィンと出会えたことは、フローニンゲンで得られた宝物のような出会いだったと言えるかもしれない。フローニンゲン:2018/8/21(火)20:55