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3002. 課題発見と課題設定


時刻は午後七時半を迎えた。今日は少しばかり晴れる時間帯もあったが、基本的には一日を通して雲が多かった。今も空には灰色の雲が漂っている。

つい今しがた夕食を摂り終えた。今日も鮭を皮ごと全ていただき、その美味しさに舌鼓を打った。鮭を夕食に食べることが習慣になりつつある。

今日は夕方にモンテッソーリ教育について調べていた。ここのところシュタイナー教育に関する書籍を読み進め、大きな感銘を受けてきたが、オルタナティブ教育を代表するもう一つの教育手法であるモンテッソーリ教育についても調べてみたいという気持ちになった。

何冊か目星の書籍を見つけ、今すぐにではないが、秋以降にそれらを購入したいと思う。今はとにかくシュタイナー教育に関する理解を深めていく。

私の中では、モンテッソーリ教育もシュタイナー教育もどちらも素晴らしい教育思想に裏打ちされており、大変興味深い教育実践がそこでなされていると思う。一方で、私が強く関心を示しているのは芸術教育と霊性教育であり、それらの観点からすると、シュタイナー教育の方が明示的に子供たちの芸術性や霊性を育んでいこうとするような意識があるように思う。

また、シュタイナー教育に対してより共感をしているのは、シュタイナー教育が自然との触れ合いを大切にしていることである。私は自然神秘主義的な傾向があるため、シュタイナー教育が自然の中での学びを大切にしていることには大きな共感の念を持つ。

いずれにせよ、どちらの教育方法も洞察に溢れており、両教育の思想と教育実践についてより理解を深めていきたいと思う。今後はシュタイナースクールだけではなく、モンテッソーリスクールにも足を運んでみたいと思う。

今日はこれからバッハの四声のコラールに範を求めて一曲作る。今日はこれで合計四曲を作ったことになる。

シュタイナー教育の探究に関してもそうだが、作曲実践をしながらつくづく思うのは、課題とは与えられるものではなく、自ら発見し、自ら作り出していくものなのだ、ということである。自分の性分として、課題を人から与えられることを昔から好まない傾向にあることも影響をしていると思うが、自らを真に育んでくれるのは、やはり自分の内側から湧き上がる課題なのだと思う。

ここではもちろんながら外的な刺激や他者の力をないがしろにしているわけではない。だが、外的な刺激や他者の力を借りるのは、あくまでも自らの課題意識を育むための助けとするに留め、自ら課題を設定していけるような力を養っていくことが最も重要であるように思う。

教師や親、そして指導者はどうしても自分の基準に照らし合わせて外から課題を子供たちに与えようとするが、それは真に子供たちの発達を支援していくことには繋がらないように思う。こうした傾向は子供に対してだけではなく、組織における人財育成にも見られることである。

固有性を持つ私たち一人一人を真に育んでいくのは、自らが発見した課題であり、自ら設定した課題であるという点を心に留め、今からの作曲実践を始めたい。この作曲実践の前に課題を設定し、実践後に新たな課題を得たいと思う。フローニンゲン:2018/8/18(土)19:43

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