top of page

2985. ライフサイクルと役割の変化


今朝も昨日に引き続き、早朝はうっすらとした雲が空を覆っている。今日は雨が降ることはないようであり、一日を通じて涼しい日となるようだ。

八月の第三週が始まったばかりだが、フローニンゲンの気温はすっかりと下がり、毎日涼しい日が続く。時に肌寒い日があるぐらいだ。

明日は今日と同じような気温だが、明後日からは少々肌寒い日が続くようである。偶然英国の天気の情報を先ほど見かけたとき、英国は急激に気温が下がったとのことである。各国本当に様々な気候をもっており、その気候は絶えず変動しているのだと改めて知る。

昨日も随分と雑多なことを考えていたように思う。一つは、近所のスーパーに買い物に出かけた帰り道に、これからは地域共同体への関与を積極的に行っていきたいと思うようになった。

それは何かしらのコミュニティーへの参加であったり、自らコミュニティーを形成するというものであってもいいかもしれない。ぼんやりと考えていたのは、子供を持つ親のためのコミュニティーだ。

昨夜シュタイナー教育に関する書籍を読んでいると、改めて親への教育というものがどれだけ大事かに気づかされた。子供の発達のカギを握るのは教師だけではなく、親の存在が極めて重要になる。

しかし、基本的に親が教育学的な知識を持っていることは稀であり、人がいかに発達を遂げていくのかに関する発達心理学的な知識を持っていることはほとんどない。本来親は一から子育てについて学びを深めていく必要があるのだが、子育てについて学べるような場がほとんどないのが現状ではないだろうか。

そもそもそうした学びをしたくても時間的なゆとりがないということはまた別の大きな問題かもしれないが、いずれにせよ、昨日に考えていたのは、親と共に子育てに関する経験を共有したり、教育学や発達心理学の基礎的な知識を共有するようなコミュニティーを作ることであった。

ジョン・エフ・ケネディ大学時代に参加していたドリームグループやボームダイアローググループのような形で、参加者が円になり、自らの体験や考えなどを共有しているイメージが頭の中に浮かんでいた。その場所は日本の片田舎か、欧州の片田舎のようであり、特に先日から関心を持っていたスイスのドルナッハのような小さな町でそうしたコミュニティーを形成しているようなビジョンが浮かんでいた。

人生が緩やかに進行していくのに応じて、自らの学びや仕事が変わっていくというのはとても自然なことなのだと最近思う。エリク・エリクソンの理論の通り、私たちはライフサイクルに応じて課題が異なる。

そうした異なる課題と向き合う際に関心事項が変わり、学びが変わり、仕事も変わってくるというのは至って自然なことなのではないだろうか。もちろん、ライフワークや自らの使命の核にあるものは普遍なのかもしれない。

しかし、そうしたライフワークや使命を全うしていく際に果たすべき役割というのは変化があるものなのかもしれない。自分自身のこれまでの人生を振り返ってみた時、ライフサイクルに応じて随分と関心や学びが変化し、果たすべき役割というのも変化しているように思う。

一つの究極的な役割から放射線状に様々な役割が伸びており、ライフサイクルの進行に合わせてそれら一つ一つの役割を担っていくような姿が思い浮かぶ。いつになるかはわからないが、上記で述べたコミュニティーサービスに従事することも、自分にとって大切な役割なのかもしれない。フローニンゲン:2018/8/15(水)07:53 

Springs in a Desert

My present feeling is like springs in a desert in that I want to desperately study philosophical and practical aspects of art and spiritual education.

I’ll read some books about the theme. Groningen, 09:56, Monday, 9/17/2018

過去の曲の音源の保存先はこちらより(Youtube)

過去の曲の楽譜と音源の保存先はこちらより(MuseScore)

bottom of page