時刻は午後六時を迎えた。今日は時折雨が降るような一日だった。
日記の執筆、作曲、GRE試験に向けた学習、そしてシュタイナー教育に関する書籍を読む形で時間が過ぎていった。先ほど雨が降っていた時、雨粒の中にある輝きとこの世界の光についてぼんやりと思いを馳せていた。
雨雲のせいもあり、外は確かに薄暗かったのだが、世界は明るく感じられた。
シュタイナー教育に関する書籍を読めば読むほどに、この教育に対する関心が高まっていく。どうやらシュタイナースクールは国や地域によって固有の特色が見られるそうだ。
いつか日本中の、そして世界中のシュタイナースクールをあちこち訪れてみたくなった。世界各国のシュタイナースクールではどのような教育実践が行われているのだろうか。
根幹には当然ながらシュタイナーの教育思想が据えられていることは確かだろうが、それぞれの国や地域の特色を帯びた教育実践にはとても関心がある。その土地固有の食べ物を食べることによって、その土地と私たちが真に結びつき、生命力が深く涵養されるのと同様に、その土地に合致した教育実践というものが存在していてもおかしくはない。
むしろ、現代の多くの教育のようにその土地の固有性が反映されず、標準化されてしまった教育の方が不自然なのではないかと思う。子供にとって、そして成人にとっても、教育が真の価値を発揮するのはその土地に根ざしたものである必要があるかもしれない。
書籍のみならず、インターネット上でもシュタイナー教育についてあれこれ調べていると、スイスのドルナッハにある精神科学自由大学のあるプログラムに行き着いた。そのプログラムは、シュタイナーにゆかりのあるドルナッハの街で人智学を深く学ぶことを目的にされている。
このプログラムには妙に自分に響くものがある。そのプログラムについてさらに調べてみると、今から八年前にジョン・エフ・ケネディ大学の統合心理学科のプログラムを始めて見た時の感覚に近いものが自分の内側に湧き上がってきた。
来年に是非ともスイスのドルナッハを訪れてみたいと思った。その際に、シュタイナーが設計したゲーテアヌムを見学しに行く。ここに人智学協会の本部が置かれており、精神科学自由大学もここにある。
なぜだかわからないのだが、私は無性にこの土地に住んでみたくなった。未だ訪れたことのないドルナッハに住んでみたいというのは、本当に突発的な考えかもしれない。
だが、この土地には自分を惹きつけてやまないものが何かある。いつか本当に人智学を学びにこの街にやって来る日がやってくるかもしれない。
また、いつかこの街で生活を始めているかもしれない。こうした不思議な感覚を大切にしたい。
きっとそこには何かの縁があるのだ。それは魂の縁と呼べるものなのかもしれない。フローニンゲン:2018/8/13(月)18:12
No.1226: A Contrail for Hope
I often find hope, looking at a contrail in the sky.
I experienced it on a sunny day last week. Groningen, 08:17, Sunday, 9/16/2018