時刻は午後の六時を迎えた。気づかないうちに今日もゆっくりと終わりに近づいている。起床してからこの時間になるまでの時の経過が本当にあっという間に感じられる。一日の時間が一粒の砂のように小さく、それでいて凝縮して感じられる。
今日も日記を書き、作曲実践をし、デッサンをするような一日だった。そこに最近はGRE試験に向けた学習が加わっている。
試験後は、本来の生活である、日記、読書、作曲、デッサンの四つに打ち込むような日々になるだろう。そうした自分を今日改めて眺めてみると、自分は学びたいことを学びたいだけ学びたいように学ぶことを行っている、ということに気づいた。
それはどこかシュタイナー教育を受けているかのような感覚だ。私は幼少時代にシュタイナー教育を受けたわけではないが、今自分がその教育を受けているような感覚がある。
そして、そのような学びを日々行うことがこれほどまでに深い充実感と幸福感をもたらすのであれば、シュタイナー教育の真価というのもそこにあるのではないかと思えてくる。日々の学びを通じて自己を豊かにし、涵養された自己を持ってこの世界に関与していくこと。それを実現させつつある自分がいることに気づく。
シュタイナー教育は幼稚園から高校までしかないが、シュタイナー教育の思想と実践は成人教育においても極めて大切なのではないかと思う。それは上述のように、自分が成人になってからシュタイナー教育のようなものを自らに施し、それによって毎日を充実感と幸福感の中に生きているという実体験から生まれた考えだ。
そうしたことを考えてみると、シュタイナー教育の思想と実践をやはり深く学びたいという思いが込み上げてくる。確かに、現在手元にはシュタイナーの教育思想に関する書籍があるが、書物からでは得られない事柄があることは確かだろう。
おそらくシュタイナー教育の思想と実践の核は叡智のようなものであり、それは書物から汲み取れるようなものではなく、直接自分がその教育を経験するか、少なくとも実際にシュタイナースクールでの教育実践の様子を観察しなければ得られないだろう。
シュタイナー教育には成人教育に活かせることがたくさんあるように思えて仕方ない。特に、シュタイナー教育における芸術教育は、成人の芸術教育にも当てはまる大切な思想と実践があるはずである。
そもそも、「成人の芸術教育」という言葉は全くもって市民権を得ていないであろうから、その言葉そのものを普及させていく試みに従事していきたいと思う。私たちは幾つになっても新しいことを学ぶことができ、幾つになっても学びを深めていくことができる。
また、芸術活動に関しても幾つになってもそれを始めることができるのだ。そうしたことを自らの体験を通じて示していき、それに関する思想的かつ実践的な探究を進めていく。
是非とも近い将来にシュタイナースクールを訪問してみたいと思う。オランダにいる間に、オランダのシュタイナースクールを訪れたい。
フローニンゲン大学の実証的教育学のプログラムでお世話になっていたマイラ・マスカレノ教授に九月にでも連絡を取り、シュタイナースクールの関係者を知っていないか尋ねてみようと思う。もし関係者がいれば、シュタイナースクールを実際に訪れ、その方にインタビューをさせてもらおうと思う。
当面シュタイナー教育を核にし、子供と成人の芸術教育および霊性教育に関する探究を少しずつ進めていきたい。フローニンゲン:2018/8/6(月)18:27
No.1209: Trace of a Dream
I had an impressive dream last night.
I feel that the dream still remains in me. Groningen, 09:45, Tuesday, 9/11/2018