穏やかな土曜日も夕食の時間に近づいてきている。時刻は午後の五時を回ったところである。
今日も一日中、書斎の窓から広がる景色を眺めながら探究活動と創造活動に従事していた。たった今、ハワード・ガードナーの“Truth, Beauty, and Goodness Reframed: Education for the Virtues in the Age of Truthiness and Twitter (2011)”を読み進めた。
この書籍を読みながら、自分なりに真善美の探究を本格的に行っていこうという気持ちを新たにした。とりわけ今の私にとっては、美の探究が何よりも重要である。
ガードナーの仕事について興味を持ち、彼自身についてあれこれ調べてみると、ガードナーは学生の頃から十年間ほどピアノを教えていたそうである。ガードナーは幼少の頃からピアノ演奏に親しんでいたが、プロのピアニストになることはせず、その代わりにピアノの演奏を教えていた時期があるとは知らなかった。
道理で本書の中にある音楽的な記述が表面的なものにとどまらないわけである。ガードナーがピアノに親しんでいたということ、そして学術的なキャリアを美学の探究から開始させたことに共感の念を持った。
その後のガードナーのキャリアについては言うまでもなく、発達心理学と認知心理学を通じた真の探究、そして「善き仕事とは」「善き市民とは」というテーマを軸に善の探究を行ってきたことはよく知られていることだろう。
本書のタイトルにあるように、本書はまさに真善美の探究を長らく行ってきたガードナーの集大成が一般書として見事にまとめられている。そんなガードナーも今年で75歳を迎えた。
昨年の年末に、ガードナー教授と何回かメールのやり取りをさせていただいた時に、多忙であるにもかかわらず、私の関心に対して明確な方向性を与えてくれたことに感謝しなければならない。
あの時も、また大きなプロジェクトを手がけている最中だということを述べていたガードナー教授であるが、私のような駆け出しの研究者にも親身になってメールをくださったことには改めて感謝の念が生まれてくる。
ちょうど今年の秋にボストンを訪れる機会があるため、その際にガードナー教授のスケジュールが合えば、短い時間でもいいので面会をし、直接会ってお礼を述べたいと思う。
明日からはガードナー教授の“Creating Minds: An Anatomy of Creativity Seen Through the Lives of Freud, Einstein, Picasso, Stravinsky, Eliot, Graham, and Gandhi (1993)”を少しずつ読み進めていきたい。
昨日の日記にも書き留めていたが、芸術教育に関するガードナー教授の書籍は残らず全て購入し、全てに一度目を通しておこうと思う。ガードナー教授の仕事が自分に近づいてきたことを嬉しく思う。
ガードナー教授に影響を与えた人物を眺めてみると、心理学者においてはジャン・ピアジェ、ジェローム・ブルーナー、エリク・エリクソンが並ぶ。また、本日読んだ書籍の中でもたびたび言及があったが、ガードナー教授は哲学者ではネルソン・グッドマンに師事をしていたことを知った。
ガードナー教授の一連の仕事をそれらの学者からの影響と紐付けて考えてみると、また色々なことが見えてくる。本日読んだ書籍の内容は、そうした学者との交流に着想を得ており、ガードナー教授自身の思想の発達も彼らの仕事から多大な影響を受けていることがわかる。
ここからも、一人の学者の仕事がどれだけ過去の他の学者の仕事の上に成り立っているかがわかる。ガードナー教授に綿々と引き継がれたものがまた新しい世代の学者に引き継がれていく。おそらく私もその一人になるだろう。フローニンゲン:2018/8/4(土)17:38
No.1204: Last Words
“What were the person’s last words?” “What will be my last words?” I was thinking about them.
Our life may be a journey from the first word to the last ones. Groningen, 08:57, Monday, 9/10/2018