サンフランシスコの坂道を登り、坂道の頂上から湾を見渡すのが好きだった。
随分と前にサンフランシスコ近郊で生活をしていた日のことを懐かしく思い出した。なぜこのような記憶を思い出したのかわからない。
そういえば昨日は、エーゲ海に思いを馳せるようなことがあった。未だかつてエーゲ海を訪れたことはないのだが、自己がそこに回帰することを望んでいるかのような、そしてそこから再び歩みを始めたいと思っているかのような気が突然したのである。サンフランシスコ湾にせよ、エーゲ海にせよ、水には何か私を惹きつけるものがあるのかもしれない。
今日は雲一つない紺碧の青空が広がっている。昼食前にノーダープラントソン公園へランニングに出かけ、行きつけのインドネシア料理店に立ち寄った。今は昼食を食べ終え、先ほど仮眠から目覚めたところである。
今日の仮眠中は、自分の意識がサトルからコーザルに向かう瞬間がわかった。わずか20分の仮眠の間にも、私は大抵、グロス、サトル、コーザルの三つの意識状態を行き来する。
サトルからコーザルに移行する時、そしてコーザルからサトルに移行する際には不思議な体験をすることが多い。今日の場合、コーザルからサトルに戻ってくる時に、目を閉じた世界の中で書物を読んでいた。
その書物は過去に読んだものなのか、もしくは未来に読む予定のものなのかはわからない。それは英文で書かれた書物であり、自分を養ってくれるような内容が書かれており、私は食い入るように書かれている文字を目で追った。
目を閉じた世界の中で私はしばらくその書物を読んでいた。そこから目覚めた時、深い睡眠を取ったのと同じような感覚が全身を包んでいた。今はそこから再び探究活動に取り掛かっている。
時刻は午後の四時を迎えた。この時間帯が最も気温が高くなる。確かに今の外気は30度であるが、クーラーなどは全く必要なく、日が入ってこないようにカーテンを閉め、窓を開けていれば涼しく過ごすことができる。
明日からの土日は気温が下がり、最高気温は25度前後となる。夕方のこの時間帯を迎えたにもかかわらず、今朝方の夢についてふと思い出した。
夢の中で私は、以前マサチューセッツ州のレクティカでお世話になっていたセオ・ドーソン博士と再び仕事をすることになった。ドーソン博士の自宅に何人かの日本人と共にお邪魔し、そこで仕事の話をすることになっていた。
ドーソン博士の家に着くと、ドーソン博士が一同をハグをしながら出迎えてくれた。私はドーソン博士と数年ぶりの再会をそこで果たしたのだが、最後に話をした時には一悶着あった。
ドーソン博士が私にもハグをしながら挨拶をしてきたが、それはどこか取り繕ったかのような行為であった。リビングに一同を集め、ドーソン博士が何やら発達理論に関する話を始めた。
ドーソン博士は説明の合間合間に、様々な質問をそこにいた他の日本人にしていた。彼らは一様にまごつきながらたどたどしい英語で回答をしている。それを見かねてドーソン博士は私にあれこれと質問をしてきた。
それらの質問はどこか私を試しているかのような印象を与えたため、彼女が望む以上の回答を立て続けに述べた。するとドーソン博士は当惑した表情を一瞬浮かべ、今度は発達理論に関するものではなく、北朝鮮の政治問題に関する質問を私に投げかけた。
結局その質問も、何か明確な回答を聞きたいわけではなく、ある意味私の回答をもとにアセスメントをしたいというドーソン博士の意図が見えていた。最後の問いに対しては、急に自分の英語に揺らぎが見え、淀みなく回答を述べることに少々手間取った。
そんな夢を今朝方見ていた。夕方のこの時間まで夢の内容を覚えているのであるから、何か自分の中で引っかかることがあるのだろう。
それが何であるかはうすうす感づいているため、それについては時間を見つけてゆっくりと向き合うことにしたい。今はそれと向き合いたくはない気分だ。フローニンゲン:2018/8/3(金)16:16
Rejoicing of Autumn
I’m rejoicing the arrival of autumn from the heart.
Autumn is a symbol to deepen various phenomena both in the interior and exterior world. Groningen, 10:51, Saturday, 9/8/2018