今日も本当に穏やかな時間が流れている。落ち着いた時間の流れと歩調を合わせるかのように、爽やかな風が流れていく。
八月を迎えて二日目になるが、今日もフローニンゲンは過ごしやすい気候だ。今日は久しぶりにシューベルトのピアノソナタを聴いている。合計で八時間ほどの曲集を一日中聴くことになるだろう。
早いもので、欧州での三年目の生活を迎えた。今から二年前の今日を思い出す。
新たな生活が始まったことによる高揚感のようなものが当時の自分にはあったかもしれない。また、未知のものに向かっていこうとする何とも言えない気持ちも持ち合わせていただろう。
今日に至る全ての思い出がとても懐かしく思える。今日からさらに一年ほどこの地での生活を続けていく。
今年一年もこの二年間に引き続き、自己の土地を豊かに耕すような経験を積み重ねていくにちがいない。
フローニンゲンのこの落ち着きには本当に感謝をする必要がある。日々の探究活動と創造活動がこれほどまでに着実に進んでいくのは、この土地の落ち着きによるところが大きい。
今後は本当に単に巨大なだけの都市に住まないようにする。そこに量的な圧倒感があったとしても、質的な充実感はないだろう。
とにかく私が求めているのは質的な豊かさであり、質的な充足感である。空虚な巨大都市で生活を営むことだけは何としても避けなければならない。
欧州での生活を始めてから、やはり自分は様々な変化を経験してきたのだと思う。そうした変化を生み出したものは、紛れもなく数多くの直接体験だと思う。
しかもそうした直接体験が、欧州という文化の総体の中でなされたものであるということが大きな意味を持っているように思えてくる。質的に豊かなものが堆積された欧州の地で毎日呼吸をしているという実感を得ると共に、それがどれほど自己を育んでくれているかについても思いを巡らせる。
結局、自らの身と存在を投げ入れて体験をしてみなければ見えないものや感じられないものがあるということ。それを身を以て知るきっかけを与えてくれているのがこの地での生活だ。
今日はこれから昼食までの時間を使って、テレマンに範を求める形で一曲作りたい。毎日様々な作曲家の曲を聴き、彼らが残した作品の楽譜を眺めていると、魂とパトスに染み渡る音楽をいかに作っていくか、そして魂とパトスの双方を揺さぶる音楽をいかに作っていくかの道について考えることを余儀なくされる。
毎日の生活の中で、言葉、音、絵の三つの表現手法を通じて創造活動を営むことが不可欠のものとなった。実際には、音楽のみならず、言葉にせよ、絵にせよ、その本質には魂やパトスと共振する何かがあるはずであるし、一人の人間の真の創造物は他者の魂やパトスと共鳴を起こすようなものだと最近よく思う。
そうした創造物を生み出すための道を探るためには、そもそも魂やパトスの性質について深く理解する必要があるのではないかと思うに至っている。その一つの道は引き続き人間発達に関する探究を進めていくことであり、意識の形而上学を含めた霊学的な探究を継続していくことにあるだろう。フローニンゲン:2018/8/2(木)11:12
No.1194: One Purple Poem
I perceived a purple curved line and several small dark blue circles.
The more I observe my inner senses and images, the more I become astonished by the mysterious nature and power of human inner world. Groningen, 07:31, Friday, 9/7/2018