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2852. イデオロギーに呪縛された企業社会におけるトレーニング


今日は昨日の天気予報と異なり、どうやら終日晴れのようだ。起床直後、朝日が寝室の中に差し込んでくるのを見てそのように思った。

昨日の天気予報では、今日は昼食後に少しばかり雨が降るようだった。だが、今朝方天気予報を再度確認してみたところ、今日は雨が降らないとのことである。

今は少し薄い雲が空全体を覆っているが、それでも朝日の光は地上に差し込んいる。今日の天気は晴れとのことなので、昼食前にノーダープラントソン公園へランニングに出かけたいと思う。

ランニングから戻り、昼食を摂り終えたら、あるメディアからの取材を受ける。取材を担当してくださる方もオランダに住んでいるようなので、雑談として少しばかりオランダの話もするかもしれない。

今回の取材は、30~40代のミドルキャリアの管理職に向けた部下の育成や部下への仕事の任せ方などがテーマになっている。この取材が公開されたらまた何かを書き留めておきたいと思う。

成人発達理論を活用した企業人の成長支援に携わって数年ほど経つが、ここ最近特に思うのは、企業人の成長支援において真に大切なことは企業社会の中でしか通用しないような技術を一生懸命に磨くことを支援するのではなく、企業社会の外に出られるようにするための技術と精神を養う支援を行うことだと思う。

現在、企業社会の中におけるほぼありとあらゆる人財開発の枠組みは全て、企業社会の中でいかにうまく生きていくかに焦点が当てられており、結局企業人が企業社会の外に解放されることには何一つ役に立たない。

そこで提供されているトレーニングを眺めてみると、企業社会という特定領域に特化した知識と技術の鍛錬がなされており、そうしたトレーニングをいくら積もうとも、企業社会の思想や制度の呪縛からいつまでたっても解放されることはないだろう。

人間の発達は究極的には特定のイデオロギーや制度的な呪縛から解放され、自分なりの意味と充実感を持って日々を生きていくことを目指すものであることを考えると、現在企業社会で提供されている人財開発という名のトレーニングとはそれと真逆のことを目的にしている。つまりそこでは、企業社会のイデオロギーと制度に企業人を絡め取ることが目的にされているのである。

ここ数日間、インドの思想家クリシュナムルティの書籍を何冊か読んでいる。その中で、クリシュナムルティが指摘するように、特定のイデオロギーや制度から解放されていくためには、徹底的な自己理解が必要であり、自らがどのようなイデオロギーや制度に呪縛されているかを把握することがまず求められる。

企業社会では相変わらず内省実践が叫ばれているようだが、企業社会に蔓延するイデオロギーや制度に自覚的になれないような内省実践にどのような意味があるのだろうか。ここでも、企業社会における内省実践が私たちを企業社会から解放してくれることに役立つのではなく、逆にそこに縛る方向に作用していることがわかるだろう。

人間として生きていく上で大事なことに気づかせてくれないのが企業社会における多くの内省実践の実情だ。ある会社の中でうまく振舞って出世することだけに躍起になることは、他の会社の人間から見れば馬鹿げているだろうし、企業社会の中で報酬と出世を求め続けるような生き方は、他の分野の社会から見れば馬鹿げているように見えるはずである。

結局人は、特定の社会思想と構造に縛られ、人間として生きていくことは何かという本質的な問いとは向き合わない形で日々を生きているのだ。フローニンゲン:2018/7/17(火)07:14

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