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2849. ハワード・ガードナーの二冊の書籍との出会い


今朝は少しばかり芸術教育や創造性に関する調べ物をしていた。すると偶然にも、ハーバード大学教育大学院教授ハワード・ガードナーの興味深い二冊の書籍と出会った。

どちらも一般書なのだが、私の関心を強く引いた。一冊は、“Truth, Beauty, and Goodness Reframed: Educating for the Virtues in the Age of Truthiness and Twitter (2012)”というタイトルのものだ。

ガードナーの書籍に関しては昨年に数冊ほど創造性及び芸術と人間発達に関するものを読んで以降、しばらく彼らの書籍を読むことはなかった。だが、ここに来て上記のタイトルの書籍はまさに現在の私の関心に強く響くものであり、先ほど迷わず購入をした。

ガードナーは発達心理学者でありながらも、哲学や芸術にも造詣が深く、改めて彼の仕事を辿り直してみたいという気持ちになっている。教育において真善美の三つの領域をどのように扱っていくのか、それについては私の最大の関心事項と言ってもよく、そこに芸術教育と霊性教育を関連付けて考察を深めていきたいと思う。

その際に本書は有益な方向性と多くの洞察を与えてくれるだろう。もう一冊購入したのは、“Creating Minds: An Anatomy of Creativity Seen Through the Lives of Freud, Einstein, Picasso, Stravinsky, Eliot, Graham, and Gandhi (2011)”というタイトルのものだ。

ガードナーは積極的に一般書を執筆する学者であり、以前はあまりそれを好ましいと思っていなかったが、昨年「一般書」と自ら括っていたガードナーのある一冊を読んだ時、その書籍が実に洞察溢れるもので驚いたのを覚えている。

それ以降、学術的な専門書だけではなく、再度一般書にも目を向けようという気持ちになり、それが上記の書籍の購入を後押しした。ここ最近では、時に一般書の方が学術的な専門書よりも深い洞察を開示している場合があると考えるようになった。

その背景には、学術的な専門書の方が文章執筆に対する制約が強く、それが必然的に語られてはならないものを生み出すことにつながってしまうことが挙げられる。

往々にしてこの「語られてはならないもの」の中に読者としては面白さを感じるものであり、そうしたことからも、学術的な専門書は確かに結晶化された知を提供してくれるものの、それはとかく無味乾燥なものに陥りやすい。とりわけこの何年間か膨大な量の学術的な専門書を読む中でそのようなことを最近よく思うようになった。

時刻は午前九時を迎えようとしている。今日は早朝に調べ物をしていたこともあり、まだ何も本格的な活動を始めていない。時間も良い頃合いになってきたので、これから作曲実践に取り掛かりたい。バッハのコラールとショパンのマズルカに範を求めて作曲をし、その後にルーミニーの詩集を読む。

午後からは昨日と同様に、20本ほど過去の日記を編集したいと思う。そして夕方にまた作曲実践を行う。一日の活動を緩やかにそして着実に前に進めていく。街路樹が早朝の風に揺れる姿は心を深く和ませる。フローニンゲン:2018/7/16(月)08:59

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